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 イエスにまつわる話と題して〝近藤千雄著〟「霊的人類史は夜明けを迎える」3章~5章の一部の抜粋です。
                    ──聖書はこのように夾雑物で汚染されております──

 第三章 地上時代のイエス

 ・バイブルの中のイエス
 イエス・キリストについて一般の人々が抱いているイメージは、新約聖書の中で語られているものがその全てであるといっても過言ではないであろう。

 処女マリアを母としてベツレヘムに生まれ、ヘロデ王による幼児虐殺の風聞を耳にした両親に連れられてエジプトへ逃れ、ナザレで幼少時代を過ごし、二十数年の空白の後に、三十歳になって祖国に帰ってきて独自の真理を説いた。その説くところが当時の国教とも言うべきユダヤ教と対立するものであったために各地でユダヤ教の指導者と衝突し、論争となった。

 が、イエスは同時に〝しるしと不思議〟つまり目を奪うような心霊現象を起こしたり重病人を奇跡的に治したりするために、ローマの圧政に苦しめられていたユダヤの民衆は、イエスこそわが民族の救世主だと信じるようになり、その人気は高まる一方だった。

その勢いをみて、このままでは自分たちの地位や名誉、そして生活の基盤までが失われるのではないかと危惧したユダヤ教会は、当時のローマの総督ピラトに訴え、それを聞きいれたピラトは、渋々、イエスの処刑を許した。かくしてイエスは、ゴルゴダの丘で十字架にはりつけにされた。

 ところが、刑死後三日目に、その遺体が納められているはずの墓の石蓋が取り払われていて、遺体そのものも無くなっていた。しかも、そのすぐ後からイエスが次々と弟子たちの前に生前そのままの姿を現して、死後も生きている証を見せた。それがのちに〝復活〟の信仰を生み、イエスを信じた者は生身をもって昇天するとの信仰が生まれた。 


 ・バイブルの〝外典〟ならびに〝偽典〟の存在
 
 旧約聖書にも新約聖書にも〝外典〟とか〝偽典〟とされた文書がおびただしく存在する。旧約聖書の方はイエスと直接の関係はないので、ここでは除外することにして、そもそも新約聖書が今日のような二十七書によって構成されるに至ったのは四世紀末のことである。中心人物のイエスが処刑されてほぼ三百年も経っている。

 その間、イエスの〝しるしと不思議〟にまつわる話がきわめて簡略な形で綴られらたものが各地域にいくつも存在していた。数にして百種類、ギリシャ語、ラテン語、コプト語、アルメニヤ語などで書かれていた。

 その記述には、当然、間違いもあれば誇大化されたものもあったであろう。書き写す際の間違いもあったであろう。

中には〝してはならない〟という否定文の否定語 (英語の not に相当するもの) が脱落してしまって〝しなさい〟になったものもあったらしい。そうしたおびただしい数の書を四世紀初頭にカイザリアのユーセビウスという司教が〝認可された書〟〝問題のある書〟〝異端の書〟の三種類に分類した。

その後いくつかの紆余曲折をへて、四世紀末に現在の二十七書が、〝本物〟とされたということになっている。ところが、その後発掘された資料によって、その内容に大幅な改ざんがなされたことが判明している。

 西暦三二五年、小アジアのニケアにおいてローマ全土の司教による第一回宗教会議が三カ月余りにわたって開かれたが、時のローマ皇帝コンスタンチヌスの命令で、その会議の舞台裏で改ざん作業が進められていたらしい。

歴史上ではコンスタンチヌスはキリスト教を容認した寛大な皇帝として〝大帝〟(グレイト)と尊称されてるが、実際は、政策上の一手段として都合のいいキリスト教をでっち上げたにすぎなかったのである。

 その事実を示唆する資料の一部をまとめた書物が一八八六年に出版されている。History of the First Council of Nice by D. Dudley (第一回ニケア会議の真相) がそれで、私が入手したのが第七版であるところを見ると大変な反響があったはずであるが、なぜか日本では紹介されていない。



 ・〝歴史上最大の陰謀〟のあらまし

 そのあらましはこうだった。帝政となってからのローマは、旧約聖書の 「ダニエル書」 の中でユダヤ人がローマ帝国は〝滅ぶべき第四の帝国〟と見なしていることから、ユダヤ人への偏見が根強く、特に原始キリスト教徒のユダヤ人を徹底的に迫害している。

紀元三年の暴君ネロに始まった迫害は暴虐をきわめ、〝狂気の獣性〟以外にその根拠を見いだせないほどのものだった。が、その他の宗教にたいしては寛大で、コンスタンチヌスの治世下には、東洋のヒンズー教と西洋のドルイド教とが勢力を二分していた。

 その二派が共に自分の宗教の神の方が絶対であることを主張するようになり、何かと争いが生じるようになった。ヒンズー教はクリシュナ神を、ドルイド教はヘサス神を立てて譲らず、コンスタンチヌスも手を焼くようになった。

それに対処するために、コンスタンチヌスはまず、クリシュナとヘサスとを相殿(アイドノ)として併立させるか、それともどちらかが譲って一つの神のもとに統一しては、という考えを提案した。いかにも宗教とか信仰に縁のない人間のご都合主義から出た安直な考えで、そんなもので両者が納得するはずはなかった。

 そこでコンスタンチヌスが目をつけたのは、それまでの迫害つぐ迫害にもかかわらず根強くユダヤ人の間で受けつがれてきているイエスなる人物への信仰心だった。

そのイエスを神に祭り上げて、これをローマの国教とすることによって民意を収攪しようという考えを抱いた。その下心をもって三二五年五月にローマ全土の司教を小アジアの二ケアに招集したのである。

 ローマ領とはいえ、そんな辺ぴな属国を開催地としたことにも、その本当の目的を悟られまいとする深謀があった。

表向きの目的はギリシャの神学者アリウスの説を討議することになっており、ほぼ三百名の司教が出席したことになっている。そして、イエスは神ではないとするアリウスの主張が退けられて、イエスを神とすることに満場一致で決して、ここにイエス・キリストなる架空の人物が誕生し、キリスト教がローマの国教として容認されたことになっている。

 ところが、実際はそうではなかった。出席者は実に二千人前後にものぼっていた。そして、そのうちコンスタンチヌス派が三百名で、残りは全部アリウス派だった。したがって採決を取った時は当然コンスタンチヌスの望む、イエスを神とするキリスト教案は否決された。これにコンスタンチヌスは激怒した。

そしてアリウス派が提出した反対声明文を皇帝派の者がその場で破り棄てた。そのことで議場は混乱に陥った。が数では到底勝てないと見たコンスタンチヌスはローマ兵を呼び入れて、アリウス派を強引に議場から連れ出し、全員の聖職権を剥奪し、アリウスを国外追放処分にした。

 あとに残った三百名の皇帝派が改めて採決し、かくして〝満場一致〟でイエスを救い主とするキリスト教が誕生した。

その論拠とすべきバイブルも、世界各地の神話・伝説から都合のいいものを借用して、それらしく書き改めていった。そして、さらにその上に次々と人工の教義をこしらえていった。贖罪説、最後の審判説、等々。ある聖書学者はこうしたニケア会議での一連の出来事を〝歴史上最大の陰謀〟とまで呼んでいる。

 その陰謀を、それから実に二百年後になって、アリウス説の後継者ユノミウスが嗅ぎつけた。

そしてその真相を公表し始めた。それに慌てたローマ教会は、当時すでに握っていた強大な権力で持って、その真相を記したユノミウスの全著作、さらには、そのユノミウスを告発しようとする動きに抵抗する者たちの著作まで、一片の痕跡も残らないまでに隠滅する工作に出た。そして一応その目的は成就され、真相は再び闇の中に葬られた。

 が、真実が永遠に葬り去られることはない。西ローマ帝国の滅亡後、その遺跡の中から唖然とさせる黒い陰謀を暴く物証が、古代史家の手によって発掘された。その問題の会議に出席した司教たちが書き残した記録や、その後お互いに交し合った手紙の中に、その事実が述べられていたのである。

もとよりそれは各自が後で思い出して書き記したものなので、細かい点、たとえば出席者の数などは一八〇〇名というものや二〇〇〇名とする者まであって、必ずしも一致していない。が、先に述べた会議の経緯そのものは紛れもない事実であることを証明するには十分であった。

 ダドレーの著書は十四章から成り、コンスタンチヌスが会議を招集するに至った原因と目的、そして会議の経過と結果とを整然と叙述しながら、それを裏付ける証拠資料を〝脚注〟の形で紹介している。その脚注が全体のほぼ半分を占めるほど豊富である。



 ・霊界通信に見るイエスの実像

  英国の女性霊媒ジェラルディン・カミンズによる霊界通信に 『クレオパスの書』 というのがある。

イエスと同時代の人物であるクレオパスは、今では地上と直接の交信ができないほどの高い波動の世界へ進化してしまったために、七人の〝書記〟を通して───七つのトランスで波動を変えながら───カミンズ女史の霊的能力を活用して、イエスの弟子たちの行状を生々しく伝えてきたものといわれている。

 それを解説する〝序文〟は聖書学者や司教、神学博士、心霊研究家等、実に二十数名によって共同で執筆されたもので、霊界通信の検討はかくあるべきという見本のようなものである。

 さてイエスに関するナゾの一つに、その幼少時代と修業時代がある。布教活動を開始するまでの三十年近くを一体どこでどう過ごしたかが、まったく空白なのである。あからさまに言えば、イエスの実在の人物とする確たる証拠は何一つないというのが本当のところらしい。聖書学者の中にはイエスを架空の人物と断定している人もいるほどである。

 が、われわれスピリチュアリズムの資料に幅広く親しんできた者には、実際の記録と同じ、あるいはそれ以上に信頼のおける、霊界からの通信がある。 『クレオパスの書』 (日本語訳 『イエスの弟子達』 潮文社) もその一つである。バイブルの 「使徒行伝」 と 「ロマ書」 の欠落部分を見事に埋める形になっているといわれている。

が、その後、イエスの少年時代と青年時代に関する通信も届けられている。文字どおり The Childhood of Jesus と The Manhood of Jesus の二冊である。 

その訳書が 『イエスの少年時代』  『イエスの成年時代』 のタイトルで潮文社から出版されている。訳者で元牧師の山本貞彰氏は 『イエスの少年時代』 の 〝訳者あとがき〟で次のように述べておられる。


《イエスの伝記というものは、正確な意味で何一つ存在しないといってよい。新約聖書の中の福音書は、元来イエスの受難物語 (十字架上の死と復活) に重点を置かれて書かれたものであるから、イエスの重要な背後をなす 「生いたち記」 が完全に欠落していることになる。

カミンズは、彼女の偉大な霊能によって 「母マリアの背景」 と 「イエスの成育史」 というもっとも重要な部分を提供してくれたのである。

聖書にまったく見られない人物や出来事をも加えながら、イエスの少年時代を中心に展開されている雄大なドラマは、読む者の魂をゆさぶり、救いに導く大切な霊的養分をふんだんに注入してくれる。多感な少年イエスが、あらゆる苦渋をなめさせられても、真の救いを求めて修行をつんでいく姿には、感涙相むせぶ場面が幾度もあり、読む者の魂を浄化してくれる不思議な力がこもっている。

 さて、本書は一体なにを言わんとしているのであろうか。イエスは最初期待していた神殿(ユダヤ教)には救いが無いことを知らされた。

ユダヤ教を代表する大祭司アンナスは、ローマの金権政治の犬になっており、ユダヤ教のラビ(教師)は徹底した教条主義で、少なくともイエスにとっては腹黒い偽善者であり、稀に見る善人として登場する老パリサイ人シケムでさえ、神殿という建造物にしがみついている臆病者であった。

結局イエスは、組織としての宗教や儀式的教条主義に救いが無いことを見抜いて、名も無い異国の浮浪者ヘリを真の指導者と仰いで山野において修行を続け、遂にアラビヤの 「流浪の部族」、もとをたださば皮肉なことに脱ユダヤの人々に兄弟として迎えられるのであった。では一体何が救いであったのだろうか。

学者の高邁な哲理でもなく、組織伝統的宗教団体でもなく、・・・・・・それは賢明なる読者にお委せすることにしよう。》


 そして 『イエスの成年時代』 の〝訳者あとがき〟で、それをこうまとめておられる。

《二年がかりでカミンズ女史のイエス伝を完訳できたことを嬉しく思う。上巻に当たる 『少年時代』 は、涙ぐみながら翻訳にあたり、今回の 『成年時代』 では、納得のできる解答が与えられた時に誰もが味わう理性的満足を得ながら進めてきた。やさしく言えば、「なるほど」 の連続であった。

もうひとつ、つっ込んで言わせてもらうならば、本書のイエスほど自然で、すなおに感じられる人物はいないということである。正統派が大事にしている新約聖書の中でのイエスは、実に不自然で不明な事柄が少なくない。どだい、数多くの断片をつぎはぎして作られたものであるから無理もないとは思うが、鮮明なイエス像が浮かんでこない。

 まず第一に強調したいことは、今更言うまでもないことであるが、イエスの徹底した信仰と実践であるが、彼が絶対的に信頼していた神の本質は 「愛」 であるから、当然の帰結として人間性を無視する現象や、それを否定する状況を許すことはできなかった。

権力を笠に着たパリサイ人や律法学者がとった冷酷な態度や、自分さえよければという利己主義と闘い、あるいはまた、全く無防備なか弱い羊を餌食にしようとする狼とは、命がけでたたかうイエスであった。

この勇気はどこから生まれてきたのであろうか。神が愛であるということを心から信じていたからだと思う。彼は凶悪な泥棒の前や殺生の場面において、 「肉体を滅ぼすものをおそれてはいない」 と語り 「いつでもこの世を去る準備はできている」 とも語っている。

『神を心から信じている』 という極めて単純なキー・ワードに注目してもらいたい。


「信仰」 と 「愛の実践」 とは全くイコール (同等) なのである。このような信仰の原点を見事に伝えてくれた本書のイエスに改めて惚れなおしているところである。この点を欠いている現代の教会については、今更ふれる必要もあるまい。死んでいるものを批判しても始まらないからである。
 
 第二に考えさせられたことは、自分に与えられている使命を、長い時間をかけて追及していく真剣な態度である。

「もし私が預言者ならば ・・・・・・」 というセリフが何度か語られている。心から愛していたアサフ (障害者) がローマ軍によって無残にも殺されてからのイエスは、ややニヒルになり、何もかも虚しくなり、一旦は隠遁修道会として名高いエッセネ派の生活を始める。

それでも彼はそこで満足が得られず、隠者として一生を終わることに本来の使命を感ずることができなかった。言い換えれば〝召命感〟が得られなかったからである。

ついに彼は故郷のナザレに帰り、叔母のマリヤ・クローパスとの会話から電撃的な閃きを得るのであった。

それからのイエスの態度は一変した。神の愛の実践者として、非人間化による犠牲者たちを片っ端から救済し、非人間化を行使する権力者(体制)を徹底的に糾弾した。つまり目まぐるしい奇跡と論戦の連続であった。

 人間には誰にでも使命が与えられている。イエスのような霊覚者でさえ、真剣に追及している姿に心うたれるものがある。イエスが使命に関して終始考えていたことは、本書によれば、二者択一であった。一つは、洗礼者ヨハネやエッセネ派の指導者からも強力に勧められた道、即ち隠遁生活である。

瞑想によって常に神と交わり、世俗と縁を断つことである。他の一つは、世俗の中に入り、人々の間で神の愛を実践することである。結局は、人間が本来あるべき道を選択したのである。彼の選択は、私たちに言い尽くせない勇気と目標を与えてくれたのである。

 第三に、大変うれしく思ったことは、実践の原動力が何によって得られるかが明示されていることである。つまり神との合一のことである。イエスはこれなくしては前へ進まなかった。全く一人になって人けのない所に行き、霊的交わりをした。その状態を何と表現しようが問題ではない。とにかく神と霊的に交わるのである。

それによって莫大な霊力が与えられ、死人をも生き返らせる力となり、体制を論破するエネルギーとなる。その断片をアサフやヨハネがかいま見ている。そのこと一つを取り上げてみただけでも、今の組織的宗教の欠陥が分かるというものである。

イエスは手で作った神殿を嫌った。組織宗教は大きな建物を持ちたがる。イエスは腐敗しきった組織宗教の仰々しい儀式や意味不明の教義、そして豪華な祭服を糾弾した。
 
 皮肉にも、今の教会はイエスが嫌ったものを全部揃えてしまったのである。本書のイエスがはっきり示していることは、『信仰は個人のもの』『宗教は実践』 ということである。信仰と組織は全くなじむものではないと思われる。

信仰が集団となって生きる道は、エッセネ派のような隠遁修道会であろうと考えている。イエスが愛に満ちた奇跡を行っているのを見て、当時の宗教的指導者は、言うことにことかいて、ベルゼブル (悪魔の頭目) の力をかりてやっているのだと言った。

 あれから二千年たった今、再びイエスが現れたなら、今の教会の連中もパリサイ派と同じようなことを言ってイエスを非難するであろう。いみじくもシルバーバーチ霊が、この点を明快に指摘していることをご存知の読者もおられることであろう。》


 シルバーバーチは〝今もしイエスが現れて教えを説いたら、まっ先に石を投げつけるのはキリスト教徒でしょう〟と言い、インペレーターも、〝今もしイエスが当時のありのままの教えを説いたならば、現代の知識人、博士、神学者、科学者と呼ばれる階層の者も、こぞってイエスを嫌い、あるいは迫害もしかねないであろう〟と述べている。

 右の『イエスの成年時代』 の巻頭を飾らせていただいた私の一文 『求道者としての極限を生きた〝人の子〟イエスの実像』 の中で、私はあらましをこう述べた。


 《本書のもつ意義については二つの視点があるように思う。一つは、従来のバイブルの記述を絶対としてそれのみに頼ってきたイエス像とその行跡を見直すという視点である。が、これについては山本氏が〝訳者あとがき〟でご専門の立場から述べておられるので駄弁は控えたい。

 もう一つの視点は、そうした通信霊が述べているイエス像とその行跡との比較という視点である。キリスト教の専門家でない私は、どうしてもそこに視点を置いて読むところとなった。

 私が、〝三大霊訓〟と称している 『モーゼスの霊訓』、オーエンの 『ベールの彼方の生活』、そして 『シルバーバーチの霊訓』が申し合せたように強調していることは、〝スピリチュアリズム〟の名のもとに進められている現代の啓示と人類の霊的覚醒事業の中心的指導霊が、かつて地上で〝ナザレのイエス〟と呼ばれた人物だということである。

 これをすぐに〝同一人物〟とするのは早計である。一個の高級霊が幾段階もの〝波長低下〟の操作の末に母マリアの胎内に宿り、誕生後それが肉体機能の発達とともに本来の霊的資質を発揮して、そこに人間性をそなえた〝ナザレのイエス〟という地上的人物像ができあがった。

その幼少時の〝生い立ちの記〟が前巻であり、いよいよ使命を自覚して当時のユダヤの既成宗教の誤りと、その既得権にあぐらをかいている霊職者の堕落ぶりを糾弾していく〝闘争の記〟が本巻である。

 こうした救世主的人物の生い立ちや霊的悟りへの道程はとかく超人化され、凡人とはどこか違う扱いをされがちであるが、〝十字架の使者〟と名のる通信霊の叙述するイエスの生涯は、どこの誰にでもあるような、いや、それ以上に人間臭い俗世的喧騒に満ちており、また苦難の連続だった。兄弟間のいさかい、親の無理解、律法学者やパリサイ人による怒りと軽蔑、同郷の者による白眼視・・・・・・最後は〝浮浪者〟扱いにされるまでに至っている。

 「イエスの成年時代はこのようにして孤独の体験から始まった。イエスは故郷の人々に心を傾けて天の宝を与えようとしたのであるが、彼らはそれを拒絶したのである」

 という一文には、胸をしめつけられる思いがする。

 しかし、イエスはそうしたものをすべて魂のこやしとして霊性を発揮していき、愚鈍で気の利かない平凡な少年から、威厳あたりを払う風格を備えた青年へと成長していく。

そこには求道者としての極限を生き抜いた姿がほうふつとして蘇り、二千年後の今、こうした活字で読むだけでも、その意気込み、精神力、使命の忠誠心に圧倒される思いがする。シルバーバーチが、人間的産物である〝教義〟を捨ててイエスの生きざまそのものを模範とするようにならないかぎり、人類の霊的新生は望めない、と述べている言葉が思い出される。

 そのイエスが、死後、物質的現象でその姿を弟子たちに見せて死後の存在を立証して見せたあと、地上的なほこりを払い落して本来の所属界へ帰って行った。そして〝私はまた戻ってくる〟の預言どおりに、今、人類浄化の大事業の総指揮者としてその霊的影響力を全世界へ行使しつつある。

それが各種の霊界通信、奇跡的な心霊治療、自由解放の運動となって現れているのである。》


 スピリチュアリズムが基盤としている驚異的な心霊現象は、本質的にはイエスが見せたのと同じものだったのである。イエスはそのうち自分よりもっと大きなことをする時代が来ると予言しているが、クルックス博士の実験室内での物質化現象を見れば、間違いなくイエスが見せたものよりも大きかったであろう。

 そうした現象をキリスト教では〝しるしと不思議〟signs and wonders と呼び、イエスは神の子だからこそ出来たのだと説くのであるが、そんな神懸かり的で曖昧なこじつけではなく、スピリチュアリズム的に明快な解釈を施してくれた人がいる。

G・M・エリオット氏である。英国国教会の司祭でありながら、心霊現象に関する豊かな知識と経験をもち、〝死後の存在〟の事実と〝霊的法則〟の存在の普及に努めた異色の宣教師だった。

当然のことながら保守的な教会組織から強い弾圧を受け、一時は説教を差し止められ、懲罰が課せられ、収入が断たれ、ついには破門されるという憂き目を経験した。

 そもそもエリオット氏がスピリチュアリズムに関心を抱くようになったきっかけは、エリオット夫人に優れた霊的能力があったことである。その異常能力を見てエリオット氏は、これがバイブルに言う、〝しるしと不思議〟だと考えるようになり、夫人と共に他の霊媒による交霊会にも出席して、死後存続について確たる信念を持つようになった。

そうした体験を通してバイブルの中のイエスの言動を全く新しい角度から理解するようになり、当時親交のあった〝フリート外の法王〟の異名をもつハンネン・スワッハーの強い要請を受けて、The Psychic Life of Jesus を出版した。それを山本貞彰氏が 『聖書(バイブル)の実像』 と題して訳しておられる。その〝訳者あとがき〟の中で山本氏はこう述べている。


《現代のクリスチャンの最大の欠陥は、〝イエスの死から昇天の過程〟が全然理解できていない点であろう。ここが人間として最も重要な〝知識〟なのである。

少しでも良心的な者なら、この過程の中に何かしら重要な秘密が隠されているのではないかと感じるはずでる。イエスは神だからそのくらいのことなら出来る、という程度の知識なのであれば情けない話である。この部分が分からないということは、失礼ではあるが、唯物主義者と何ら異なることはない。

本書の著者が情熱の限りを尽くして書き著していることは、イエスの復活と昇天にある。謙虚な読書なら、きっとこの部分が素直に受け止めることができるのではないかと思う。

あの多弁なパウロでさえ 「死は変化にすぎない」 と〝コリント人への第一の手紙〟のなかで力説している。従って、死から霊の存在に変化するときの具体的な知識がなければ、絶対にこの部分は分からないはずである。

 すぐれた聖書学者なら、この部分が最もキリスト教にとって重要なところであるということを否定しない。しかし彼らも充分に理解できていないのが現状である。訳の解らない屁理屈を並べているからである。牧師の説教を聞けばすぐ分かる。聖書学者の二番煎じを聞かされるのがおちである。

霊的知識を持っていない学者や牧師が、どうして霊への変化の過程について語れるというのであろうか。この点に本書の著者がにがにがしい体験を味わっていることを書いている。 「信仰とは、もはや神を信じ神の与えたもうた霊力を信じることではなくなった。

信仰とは教会の組織を信じ、人間が作った〝信仰箇条〟や聖職者・法王を信じることに変わってしまった」

 本書を霊能者の立場から眺めてみることも有益であろう。心霊現象にまったく無関心な唯物主義者や、教会に属している信条クリスチャンとは、正反対な人々である。

心霊現象の知識がある人、霊的能力のある人というのは、えてして〝組織〟をつくりたがる傾向を持っている。組織は権力と金を生み出し、ついに教祖的存在となってしまう。著者が至るところで強調しているように、イエスは全く〝組織〟を作らなかった。霊覚者と言われる所以である。

 現代流の表現を用いるならば、イエスは心霊治療家を養成し、不治の病人と言われた人々の救済に全力を尽くしたといえる。心霊治療に当たっていたスタッフ (弟子) の生活費は、当然のことながら、完治した人々からの成功報酬によって賄われていたのである。取り過ぎもせず、足らないということもなかった。

組織としての宗教が今日堂々と行っている〝定額献金〟とか、〝冠婚葬祭〟によって得られるお布施の類などは、当時影も形もなかった。イエスは、終始、〝宣教と治療〟に専念していたのである。

まして立派な建物や儀式などは、思いもよらないことであっただろう。もし仮に聖書の中に〝組織〟の匂いのする文章があるとすれば、完全に後世の改ざんである。

ある学者の研究によれば、聖書は、歴史上最大の〝詐欺的〟書物であるとさえ言われているのである。聖書の一字一句は神の御言葉であって、全く誤りのないものであると信じ切っている方には大変ショックなことであろうが、教会の組織が生まれようとしていた四世紀の初期頃までは、イエスの実像が大がかりに変えられてしまったようである。

 ガリレオの名句と言われていると言葉 「それでも地球は動く」 も伝記作家の創作であったらしい。原本が後世の人々の手によって様々に改変される例は無数にあるのである。何はともあれ、霊能をだしにして多額の寄付や寄進を要請し、けばけばしい大伽藍を建立してきた宗教組織とイエスとは全く無関係であることを強調しておきたい。

イエスが教えてくれた〝霊能〟とはそれを必要としている人々のためにひそか用いられていること、それによって真の神を知らせるチャンネルにしていたこと、であった。この点を明確にしておけば、現代においても単なる霊能者と真の霊覚者の違いがはっきりすると思う。》




   第四章 イエスは十字架上で死んでいなかった?

 イエスが十字架上ではりつけにされている姿───それは悲愴感と残酷性と崇高さを覚えさせずにはおかないものだが、あの時、実はイエスは十字架上で死んでおらず、奇跡的に生き返ってこっそりと国外へ逃亡したと聞かされると、どことなく複雑な気持ちになるのは私だけではなかろう。

しかもその逃亡先はローマだとするもの、インドだとするものほかに、この日本にきたとする説が根強く残っていることは、いったい何を物語るのであろうか。

逃亡先はともかくとして、イエスはあのまま死んでいなかったのではないかと想像させる何かが起きたはずで、それは一体何だったのかを考えるのも、一種のミステリーとして興味あることではないかと思うのである。

 これからそのうちの三つの説を紹介するに当たって、あらかじめ断っておきたいのは、仮にイエスがその後何年か生き延びていたことが事実だとしても、イエスという人物の存在にとって、それは実にささいなことだということである。それは、その後で述べる霊界でのイエスの本来の霊格と霊力のすごさを考えれば、容易に理解していただけることと思う。




(一)アッピア街道で大工として短い余生を送ったとする説 

 ・愛犬プルートーを従えて 
 英国人の E・V・Reuter の著者 The Man From Afar (はるか彼方から来た人) によると、イエスは伝道活動の期間中ずっとプルートーという名の愛犬従えていて、そのプルートーが処刑直後に大きな意味を持つことになる。

即ちイエスをはりつけにした十字架が立てられた直後から一天にわかにかき曇り、稲妻が走り、大粒の雨が落ち始めた。慌てたローマ兵たちはイエスの息が絶えているかどうかを確かめるために、脇腹をやりで突いた。

すると鮮血が流れ落ちたが、イエスの体がピクリともしないので、もう死んでいるものとみて十字架から引き下ろして、マントを被せた。折から雨が激しくなってきたので、番兵たちはイエスの遺体をそのままにしてその場を去った。

ふつうならジャッカル(野生の犬)が死体を食い荒らすところだったが、愛犬のプルートーが片時もそばからはなれず、烈しい雨も幸いして、ジャッカルも近づけなかった。

 その夜は滝のような雨が降り続き、母親のマリアとマグダラのマリア、それに弟子のペテロとヨハネは、ラマタイスのヨセフの家でまんじりともしない悲しい夜を過ごした。そして雨が止むとすぐ、まだ暗いうちに遺体を確認しに出かけた。その日は安息日なので埋葬は行われないことを知ってのことだった。

 刑場へ来てみると、二人の盗っ人は十字架にはりつけにされたままなのに、真ん中のイエスの姿が見当たらない。更に近づいてみると、何かを覆っているマントのすぐそばにうずくまっていた犬が起き上って激しく吠えた。

が、マリアの姿を見るとすぐに大人しくなった。そこでもしやと思ってマントをめくってみると、まさしくイエスの遺体だった。あたりを見ると、ジャッカルの群れが遠巻きにしている。

 「危ないところだった。いっそのこと家へ連れて帰ろう」───大変な禁を犯すことになる行為ではあったが、そのときの事情ではそうせずにいられなかった。そしてヨセフの家で棺に安置してその遺体を見つめているうちに、唇と頬が赤みを帯びてきて、やがてイエスは息を吹き返した。手のひらと足の甲のクギの跡もきれいにふさがっている。奇跡が起きた───みんなそう思った。

 そう思うと、みんな、このままもう一度あの十字架にかけられるのは忍びなく思えた。ローマの統治下にあって、それは絶対に許されないことだった。もし見つかったら、さらに重い刑罰が科せられ、かくまったものも同罪になる。が、それを恐れる気持ちはもうなかった。さっそく逃亡のための変装に取りかかった。

 逃亡の途中で何度か芝居もどきのハラハラさせられる場面が展開するが、それは省略して、ローマの方角へ向けてイエスは、アッピア街道をただ一人落ちのびていった。

当然のことながら、体力は疲弊しきっていた。とくに一晩中雨に打たれて冷え切っていたために、すでに気管支炎を患っていた。が、ローマにほど近い村で大工の家を見つけて、雇ってくれるよう頼んだところ、その大工は老齢で一人暮らしだったせいもあって、喜んで雇ってくれた。やがてその大工が死に、イエスは一人で細々と暮らし、四十歳余りで他界している。


 ・ペテロとの再会
 その他界の少し前にペテロが、ローマからの帰り道で偶然そのイエスの家に水を貰いに立ち寄った時の話が、最後に語られている。

 イエスは白いあごひげをたくわえていたので、ペテロは最初、それが主イエスであるとは気がつかなかった。が、イエスの方はペテロであると分かっていた。そしてできることなら気づかれないままであった方がいいと思っていた。しかし

 「少し休んでいかれては?」

 という言葉を聞いて、その声の響きにペテロは、ふと、思いが昔に引き戻された。
その瞬間、すべてが蘇った。そして思わずひざまずこうとした。するとイエスはそれを制した。ペテロが、

 「先生、これは夢では?」というと、

 「夢ではない、ペテロ。私にはすぐ分かったが、気づかれなければ、そのままにしておこうと思っていたよ」

 「先生、いったいこれはどういうことですか。わたしには何が何だかさっぱり分かりません」


 こうして二人は一晩中語り明かした。イエスは時おり苦しそうにセキ込んだ。物を取りに行く時の足取りも危うかった。

 翌朝、イエスはペテロとともに、一マイルほど同行し、いよいよ別れぎわにこう語ったという。

 「ジャイルスはいずれ手記を書くといっていたが、この事実は知らないはずだから、会って真実を伝えてやってほしい。そしてマグダラのマリアには、私が死んだら、まっ先に声を聞かせるといってやってくれ。どこにいようと同じことだ。私の命はもう長くないことは分かっている。呼吸が日に日に苦しくなってきた ・・・・・・」

 そう言ってからペテロの頬に口づけをした。ペテロはアッピア街道を進みながら、何度も振り返ったが、そのたびにイエスは手を振っていた。そして、ついにそのイエスの姿も遠くかすんで見えなくなった。

 この書はタイトルからして小小説的であり、副題も A Flight into the Past as itmight have been となっていて、言ってみれば〝こうではなかったかという一試論〟というかたちをとっている。いくつかの資料をもとに、著者の想像力を混えて書いたもののようである。

その中で浮き彫りにされているイエス像は、宗教家というよりは社会革命家といったイメージが強い。ストーリーは実に面白くて、私は三度も読み返している。



  
 (二)インドで伝道と治療活動を続けたとする説

 ドイツ人ジャーナリスト Horger Kersten の英語版の著者 Jesus Lived in India (イエスはインドで生きていた)によると、イエスの処刑は正午ごろに始まって、遺体が下ろされたのは三時頃だったという。

天変地異は起きていない。慣習どおりに遺体は布でくるまれて石棺に埋葬された。それから三日目にマリアたちが訪れると、その石蓋が取り払われていて、イエスの遺体は無くなっていた。

 そこまではバイブルの話どおりであるが、実はイエスの遺体が埋葬されたその夜のうちに、エッセネ派の者たちが忍び込んで運び出したという。スリラーもどきのプロットが展開する。そしてその後の筋は〝外典〟の一つである 『トマスの福音書』 ときわめてよく似ている点が興味ぶかい。

 

 ・セッセネ派との関わり合い

 話を進める前に、イエスの遺体を運び出したとされるエッセネ派について、簡単に説明しておきたい。

 今から半世紀ほど前の一九四七年に、アラブの遊牧民の一つであるベドウィン族の少年が死海に面した険しい岸壁で洞窟を見つけた。中に入ってみると細長い土製のつぼが数本ころがっていた。中のものを取り出してみると巻物が入っている。もしかしたら金になるかもしれないと思った少年は、それを持ち帰って古物商に売った。

それがさらに数人の商人を転々とするうちに、聖マルコ修道院の大主教 A・I・サミュエルの手に渡った。巻き物を一目見て大主教は、それがとてつもなく貴重な資料であることを直感した。こうして俗にいう〝死海巻物〟正式には〝クムラン文書〟がキリスト教会を震撼させる大問題へ発展していった。

 まずヨルダンの古物管理局のハーデングとフランスの聖書考古学院のドゥ・ヴォ―神父の指揮のもとに組織的な発掘作業が進められ、蒐集された膨大な数の遺物を、英米仏の専門家を中心に組織された国際的研究機関によって、復元と解読が行われた。

その結果判明したことは専門的すぎるので、ここですべてを列記するわけにはいかないが、その中にイエスの実像と直接結び付く発見として、

従来の認識ではユダヤ教はサドカイ派とパリサイ派によって二分されていたというのが通説だったが、実はもう一つエッセネ派と呼ばれる宗団があって、ちょうどイエスが活動したころに一つの集団生活圏を築いていて、イエスもどうやらそれに所属していたことがあるらしいという推測が、かなりの信憑性をもって語られるようになった。

 エッセネ派の全体としての印象は〝男性的戒律〟の宗団である。禁欲を第一とし、肉欲を禁じ、財産はすべて共有、他人への親切、特に年長者・貧者・見知らぬ人への思いやりを説いた。奴隷制度を排斥したのもエッセネ派が最初と言われる。

学問的にはギリシャ哲学を重んじ、東洋の思想や教訓を積極的に取り入れていた。

 こう並べてみると、一つ一つは実に結構なことのようであるが、それがいちいち型にはめられた行為であり、しかも最大の問題として、現在の常識で言う〝結婚〟は許さず、原則として養子を向かえることにし、唯一、子孫を絶やさないという目的のためにのみ性行為を許し、子供が生まれれば、そこで妻の籍を除外したという。

 エッセネ派に関する文書の主な作者は三人で、その述べていることにいくつかの矛盾点があるが、それは時代の推移による戒律の変遷を物語っていると理解してもよいであろう。が、問題はこのエッセネ派とイエスとの関係である。

バイブルに出てくるイエスの教えの中にエッセネ派の教えときわめて類似したものが多く見られるところから、イエスもエッセネ派だったのではないかという推測がされているのであるが、右の〝女性蔑視〟と〝型にはまりすぎ〟の二点から考えて、イエスが居心地よく思ったとは考えられない。

 現に、霊界通信 『イエスの成年時代』 でも、確かにイエスはエッセネ派に所属していたこと自体は事実であるが、ごく短期間だった。私の理解しているイエスは自主的判断力を重んじ、怖じけることのない積極的な生き方を奨励し、この世にありながら俗人となり下がらないための霊的自覚と節度を説いたのである。

その上イエスは、ケタ外れの霊的能力をそなえていた。言うなれば当時のスーパーヒーロー的存在だったと考えてよいであろう。だからこそ総督のピラトやユダヤ教の聖職者がイエスに対して嫉妬と恐怖を覚えたのだった。こうしたイエスの実像については、改めて取りあげることにして────




  ・ダマスカスにいったん身を隠す 

 処刑直後にイエスの遺体を持ち去ったのは、こうしたエッセネ派の一味で、多分イエスが所属していた時分にイエスとともに修行をし、イエスがただの人間でないことを見抜いていた。かつての同志たちだった。

 イエスは、その運ばれて行く途中で覚醒する。そしていったんダマスカスに落着き、そこで追手の目を避けながら、体力の回復につとめた。

 さて、ペルシャに伝えられる話によると、やがてそのイエスのもとにトルコのニシビスの王から病気治療の依頼が届けられた。が、体力の回復が十分でなかったからか、他に理由があったのか定かではないが、取り敢えず弟子のトマスを行かせて、自分も必ず後からいくという手紙を持たせたという。が、約束通りイエスが訪れた時は、王の病はトマスによって癒されていたという。

 ニシビスを出てから北西への旅に出て、最後にインド北部のスリナガルで死亡するまで、イエスはいくつかの名前を使い分けながら、霊的真理の伝道と病気治療を行っているが、その根拠は、四世紀にシリアで書かれたといわれる〝外典〟の一つ 『トマス行伝』 と 『トマス福音書』 である。

イエスと最後まで共にしたのはこのトマスで、ほかに母親のマリアとその妹、それにマグダラのマリアの三人で、マリアの妹は、すでに紹介した霊界通信 『クレオパスの書』 のクレオパスの妻だったという。



 ・イエスとマリアの墓

 著者のドイツ人ジャーナリストはトマスの二つの書を克明に実地検証し、母マリアの墓(パキスタンのマリ) とイエスの墓の存在を確認して、その写真まで掲載している。最後にイエスが名のった名前は ユズ・アサフ Yuzu Asaf でスリナガルの中心地にあるロザバル Rozabal という建造物の中に葬られているという。

 ロザバルというのは〝予言者の墓〟という意味で、それがイエスであることの絶対的証拠として、考古学者がその墓を調査したところ、墓石に〝足型〟が彫ってあり、その甲のところに、はりつけの時のクギ穴と思われる大きな傷痕があることを発見した事実を挙げている。

その痕跡の様子から判断して、イエスは左足を右足の上に重ねて撃ち抜かれた、ということまで記している。インドにはりつけの刑がないことも、これをイエスであるとする根拠の一つにあげている。年令は記してないが、ストーリーをたどったかぎりでは、かなりの高齢だったことは間違いない。



  (三)〝目撃者〟と称するエッセネ派の長老の手記

 二十世紀になって間もないころ、古代史研究家のエルシー・モリス博士 Elsie L. Morris がロスアンゼルスにある図書館で古代イスラエルに関する資料を書写しているうちに〝エルサレムのエッセネ派の長老がアレキサンドリアの同志へ宛てた手紙〟と言うのが目に止まった。

 一読してその重大さに気づいた博士は、慎重に書き写してから、出版社を経営している B・F・オースチン氏のところへ持ち込んだ。そのオースチン氏も一読してただならぬ内容に感動し、内容の解読とエッセネ派についてに一文、それにバイブルによる通説を添えて、 The Crucifixior of Jesus by an Eye-witness というタイトルで一九一九年に出版した。

私が入手したのはその復刻版である。Eye-witness というのは目撃者または生き証人ということで、書簡のタイトルの意味は〝目撃者が語るイエスのはりつけ〟ということになるが、目撃者の実名は記されていない。

現物はラテン語で書かれていて、それがドイツに持ち込まれてドイツ語に翻訳され、さらにスウェーデンに持ち込まれてスウェーデン語に訳され、そして右の書の出版のために三人の翻訳家によって英語に翻訳されている。

 それによると、これ又、前の二つの説とはガラリと筋書きが違う。 (一)ではイエスとエッセネ派との関わり合いは一言も述べられていない。徹底した革命家で、ローマの圧政からユダヤ民族を救うために民衆を煽動し、ひそかに武器まで用意している。親にも兄弟にも孝行している。

バイブルに出てくる〝しるしと不思議〟がなるほどと思わせる場面で出てきて、小説を読むように面白い。と言って決して芝居じみてもいない。そしていよいよ革命が実行される直前になって例のユダの裏切りがあって謀反は挫折し、イエスは逮捕されてゴルゴダの丘で (いったん) 処刑される。が、紹介した通りのいきさつで覚醒してアッピア街道を逃げ延び、そこで生涯を閉じる。

最初から最後まで〝これぞまさしく救世主(メシア)だ〟と思わせるほどの霊力と人格力をそなえた人間として描かれていて、エッセネ派との関わりは一切出てこない。

 これが (二) になると、直接の関わり合いは述べられていないが、処刑直後にエッセネ派の一味がひそかに遺体を持ち去っている。そしてその後も陰に陽に援助している。が、行動を共にしたのは母マリアとその妹、マグダラのマリア、それに弟子のトマスで、このストーリーの中でトマスはイエスの本質を最も深く理解した人物とされており、『トマス行伝』 では〝キリストの双子の弟〟という言い方までされている。そして二人して処刑前と同じように数々の〝しるしと不思議〟を行い、難病を癒している。

 著者は、イエスをほうふつさせる人物がインド各地に逗留した事実を証拠づける遺物や遺跡を紹介している。たとえばデリーの南一七五キロにある、今では廃墟となっている古代都市の寺院の一つの巨大なアーチ門に、

 「イエス曰く〝この世は橋である。渡るのはよいが、そこに安住してはならない〟と」

 という刻文があるという。

 信頼できる霊界通信、たとえばシルバーバーチの霊言では、イエスは若き日にインドで修行していると述べているところから考えて、そうした遺物はもしかしたらその修行時代のものかもしれないという推測も成り立つ。が、ともかく著者は、インドでマホメット教が猛威をふるうようになる以前に、イエスの教えが広まっていたことは間違いないとしている。



  ・イエスもバプテスマのヨハネもエッセネ派に属していた

 このように、 (一) は小説作法的であり、(二) は考証学的である。がこれから紹介するのは〝私はその場でこの目で見たのです〟と言う人物が、同じエッセネ派の同志へ宛てて書いたもので、その中でのイエスは熱心で有能なエッセネ派の修行者ということになっている。しかもパブテスマのヨハネ、すなわちイエスに洗礼を施したヨハネもエッセネ派の長老で、あの洗礼はエッセネ派への入門を許す儀式だったのだという。

 さて、この〝目撃者〟はイエスが十字架を担がされてよろめきながらゴルゴダの丘を歩いていく様子、それを見て女性たちが大声をあげて泣き叫ぶ様子、一方パリサイ人たちが遠巻きにしてあざけ笑っている様子などを克明に描写している。

そのあと、いよいよ十字架に両手足を縛りつけられてクギを打ち込まれるのであるが、面白いことに、この目撃者が言うには、クギは両手に打ち込まれただけで、足には打ち込まれなかったというのである。

 「同志諸君、私はこの点を特筆しておきたい。風聞(ウワサ)では両手両足に打ち込まれたとされているからである」

 と述べて、足にクギを打ち込むのはローマのはりつけの慣習ではないと念を押している。


   
  ・大地震が二度起きる

(一) ではそのあと雷鳴とともに大洪水となるが、この目撃者が言うには、太陽が沈んでから大地震が二度発生したという。そしてローマ兵たちは、これはもしかしたら、やはりイエスは神の子で、それを処刑した天罰ではなかろうか、と不安になった。そんな時にバイブルでも登場するアリマタヤのヨセフとニコデモが現場に到着する。

そして、まさかこんなに早く処刑が執行されるとは、と、師の最期に間に合わなかったことを嘆き悲しむ。しかし、この二人がイエスの蘇生に大きな意味を持つことになる。ヨセフが金持ちだったことと、ニコデモが医学にも通じた教養人だったことがその要因である。

 二人は十字架上でうなだれて息絶えているイエスを見て、せめてこのあとローマ兵によって(当時の慣習で)手と脚を打ち砕かれることだけは免れさせてあげたいと思い、総督ピラトを買収してその許しを得ようと、ヨセフが走って行った。ピラトはよくそうやって金をとって許していたという。が、実際はそのことをたのんだ時は、ピラトは地震による恐怖におののき、自分がイエスの処刑を許したことを悔いていて、金は取らずにヨセフの頼みを聞いてやったという。

 ヨセフがそのことで奔走している間に、ローマの百人隊長がイエスの骨を砕きにやってきた。が、幸いこの目撃者はこの隊長と顔見知りだったので、イエスはもう間違いなく死んでいるから、そこまでやらないでほしいと頼んだ。その頼みは受け入れられたが、そこへピラトの使いの者がやってきて、隊長に、イエスは間違いなく死んだか、と尋ねた。

 「確かに死んでいる。だから骨は砕かなくてもよい」 と言うと、 「では確かめさせてもらう」 というなり、ヤリでイエスのヒップのところを突き刺した。すると血と体液が流れ出たが、イエスの身体がピクリともしないのを見て、その使いの者は納得して去っていった。

 その様子を見ていたニコデモは、本当に死んでいればあんなに出血はしないはずなのに、おまけに体液まで流れ出たのは、イエスがまだ完全には死んでいない証拠と見た。そこで、戻ってきたヨセフと〝私〟に小さな声で 「先生はまだ生きていらっしゃる。体力を消耗しているだけだ。さっき、こういう時によく効く薬草を取ってきてある」と言った。

 三人は早速十字架にのぼり、縄をほどき、両手のクギを抜いて、ゆっくりと地面に下して横たえた。そこでニコデモが大急ぎでイエスの体全体に薬味と膏薬を塗りつけた。さらにその上から白い布でぐるぐる巻きにして、埋葬場所である洞窟の中へ運び込んだ。そして、その入り口を大きな石で塞いでおいて、中でアロエなどの薬草をいぶした。

 それがよく効いて、ニコデモが予測したとおり、イエスは蘇生する。そして逃亡という筋書きになるのであるが、その目撃者の話では、イエスは意識は取り戻したものの、体力の消耗が激しくて、エッセネ派の者にかくまわれながら各地を転々とするうちに、ついに生命が尽き果て、処刑後六カ月ほどで死亡したという。そしてその遺体は死海のほとりに埋葬されたという。



   (四)その他の諸説

 以上、私は手元に原典があるものだけを選んで紹介したが、実際には、他にもいくつかの説がある。多分ご存知の方も多いと思われるものに、イエスは日本に渡来して青森県の戸来村で百十八歳で死んでいるとする説もある。

これは、〝竹内文書〟(タケノウチモンジョ)と呼ばれる日本の古史古伝の中の〝外典〟または〝偽典〟とされているものの中の一つに述べられている説で、その根底にはユダヤと日本が同一民族である───正確に言えば、二五〇〇年前にユダヤの一支族が流浪の旅の末に日本列島に住みついたとする説から出ている。

 参考までにあらましを紹介しておくと、イエスは双子の兄弟の兄で、弟はイスキリといい、それが身代わりとなって十字架上で死に、イエスは長い逃亡の旅の末に日本にたどりついたという。

イエスが双子であったというのが事実かどうかは問わないとしても、私が全くおかしいと思うのは、イエスがこれ程までに騒がれるのは〝これぞ救世主か〟と騒がれるほどの人物だったからこそで、それが弟を身代わりにしておいて逃亡し、最後は日本にきて片田舎でひっそりと余生を送ったことが、さも日本にとって意味ありげに扱われていることである。本当かウソかの問題以前の、どうでもいい話ではなかろうか。

 そのほかにも、イエスは逃亡中にマグダラのマリアとの間に子供をもうけたという〝下衆の勘ぐり〟程度のものもある。

右のアレキサンドリアの〝目撃者〟もエルサレムとパレスチナで起きたイエスの処刑前後の事実に羽が生え尾ひれがついて、とんでもない話に発展していくのを放置しておくに忍びず、その真実を書き残しておきたいと思ったというのである。と言って私は、この目撃者と称するエッセネ派長老の話が事実と断定しているわけではない。

 事実の誤認はあるにしても、先に紹介した三つがそれなりに筋道が通っており、そうだったかも知れないと思わせるものを備えている。

が、互いに突き合わせてみると、たとえば (二) ではイエスの墓とされるものの石板に足型が彫られていて、それにはちゃんと処刑の時のクギの穴まで彫られているのに、 (三) の長老の話では、当時のローマの慣習として、はりつけの時は両手にしかクギを打ち込まない───足にも打ち込まれたという話が伝わっているようだが、それは断じて事実に反する。とまで言っていて、完全に矛盾している。

 また、(一)では処刑の時刻ごろから雷鳴をともなった大雨となり、それがイエスを救うきっかけとなるのであるが、 (三)では大地震が二度も起きて、それがイエスが助かるきっかけとなっている。一体どっちが本当なのだろうか。

 いずれにせよ、こうしたことが話題となるのは、〝死ぬ〟ということへの人間のこだわりが強いからではなかろうか。実際には自我にも個性にも〝死〟はないのである。

凡人が死を悲劇と受け止めるのは人情として当然のことであろうが、イエスほどの超高級霊ともなると、その使命は生死を超越している。次章でそのことを見てみたい。


 付記───平成三年五月十三日付けの朝日新聞に 「キリストの復活は失神後の意識回復」 と題する、次のような記事が出ている。

 「キリストの復活は失神後の意識回復」
 十字架上で受刑のため死亡、二日後に復活したことになっているイエス・キリストは死後復活したのではなく、気を失った後に、意識を回復した可能性が高い───との新説を英国の医学博士がロンドンの王立医大学内誌に発表した。

 定説への挑戦者は英雇用省の医学顧問を務めたこともある元医師の トレバー・ロイド・デービス氏(八二)夫妻。

二人は、 一、キリストは十字架上でショック状態となって血圧が下降、意識を失った、
二、キリストが血の気を失い、動かなくなったため、そばにいたものが死んだと間違えたことは疑いない────と主張。

 その根拠の一つとして二人は、十字架上での受刑死が通常三、四日かかるのに、キリストはわずか六時間後に死亡したとされていると指摘している。
                                  (共同)



  第五章 霊界へ戻ってからのイエス

 ・人間的努力と霊の援助 

 以上、私は超高級霊の降誕の最後を飾る人物としてイエスの実像に、いくつかの角度から光を当ててみた。

 読者の中には、真実性を証明する証拠のない、しかも明らかに矛盾する説をなぜ紹介するのかという疑問を抱かれる方も方もいらっしゃるであろう。
 
また、霊界通信に興味をもたれる方からは、イエスがその後も生き延びた話はどの霊も語っていないではないか───何なら霊媒を通じてその点を確認すればよいではないか、という意見が聞こえてきそうである。

 が、その辺に私の霊界通信の受け止め方の違いがあることを知っていただきたい。私はこれまで〝三大霊訓〟と言われる英国の霊界通信ばかりを翻訳してきた。年代順に言えば 『モーゼスの霊訓』 が全三巻 (国書刊行会の文語体訳 『霊訓』 全一巻は絶版)、 『ベールの彼方の生活』 が全四巻、 そして 『シルバーバーチの霊訓』 が第一期十二巻と第二期三巻 (〝愛のシリーズ〟)、第三期三巻(翻訳中) を併せて二十五冊にもなる。

が、このことをもって私が霊界通信に夢中になっている人間のように想像されては困るのである。

 たしかに二十五冊というのは冊数としては多いかもしれないが、その霊的淵源は、かつて地上で〝ナザレのイエス〟と呼ばれた人物を中心とする地球浄化のための大霊団であって、その中の〝霊的真理の啓示〟を担当する三つの霊団から届けられたものなのである。同じ始源からのものが三人の霊媒を通して届けられたということである。

地上におけるスピリチュアリズムを一応十九世紀半ばからとして計算して、以来百五十年間に、日本のものも含めて〝啓示〟と呼ばれるもので私が入手できたかぎりのものを渉猟(ショウリョウ)してきて〝これこそは〟と確認できたもの、つまり純正かつ高等な本格的霊界通信 (計画性をもったもの) と言えるものは、その三つしかないという結論に達したのも、当然といえば至極当然の結果だったと言えるであろう。

 その判断方法はいろいろあるが、基本的には、全体として矛盾撞着がないこと、そして、ベストセラーにはならなくてもロングセラーを続けていること (順に、およそ一二〇年、七五年、六五年) といったことがあげられるが、そういうものとは別に読む者の魂の琴線に触れるものを持っていることが最大の特質と言えよう。

 逆の見方をすれば、そんなことはわざわざ霊から聞かされなくても、人間の知恵で充分に間に合いますと言いたくなるような内容のことを勿体ぶってのたまっているものは、まずもって高級霊からのものではないということである。

ある一定レベル以上の高級霊ともなると、地上世界を経綸している地球神庁の計画と意図をよく理解した上で行動するので、人間の努力の範囲に属することに干渉することは絶対にしないものである。シルバーバーチの霊言の中に、その点をはっきりと述べている一節がある。


《霊界から手を差しのべてよい範囲があり、出しゃばってはならない限界があり、しゃっべてはならない時があり、今こそ述べるべき時があり、それに加えて、その時々の環境条件による制約があります。

しかし、そのパターンは厳然としており、指導に当たるスピリットはすべからくそのパターンに従わなくてはなりません。前もってそういう取り決めがしてあるからです。

 私も、私よりはるかに霊格の高い霊団によって計画された枠の外に出ることは許されません。そもそも地上で成就すべきものと判断を下した、もしくは計画したのは、その高級霊団だからです。光り輝く存在、高等審議会、神庁、天使団───どうお呼びになっても結構です。要するに私たちが行う全仕事について進化せる高級霊の集団です。

 私には、もうすぐその方たちとお会いする喜びが待ち受けております、その時、まず私の方からそれまでの成果をご報告申し上げ、次に私がどの程度まで成功し、どの点で失敗しているかについて言い渡され、それによってそれから先の私のなすべきことを判断することになるのです。

その霊団の上にはさらに高級な霊団が控え、その上にもまたさらに高級な霊団が控えており、連綿として事実上無限につながっているのです。》


 また別のところで、出席者から 「イエスは本当にはりつけにされたのでしょうか」 という質問を受けてシルバーバーチは、

 「そんなことについて私の意見をご所望ですか。そんなことはどうでもいいことではないでしょうか」
といって返答を避け、そんなことを知っても霊的進化には何のプラスにもならないと諌めている。

 常識的に考えれば、もしも処刑されたのが事実ならば、「そうです」 と答えるだけで済むはずである。バイブルではそういうことになっているのである。それを、なぜか返答せずに、そんなことを知っても魂の成長のプラスにはならないなどと言うところを見ると、どうやら十字架上では死んでいなかったのではないかという推測をしたくなる。

が、多分、右の引用文をにある通り、その問題に深入りするのはシルバーバーチの領分ではなかったのであろう。

 こうしたシルバーバーチの態度は、人間的努力と霊による援助との兼ね合いについて非常に大切なことを教えてくれているように思う。守護霊を中心とする背後霊団と人間との関係、あるいは一国の守護神と国民との関係、さらには地球の守護神と地上人類全体との関係の基本にあるのは、あくまでも人間の霊的進化であり、そのために絶対条件として、自由意思の尊重が第一に考慮されねばならない。

ただの操り人形となってしまっては、安全第一は保証されても、そこに進化はありえない。そこで人間側の自由意思による判断と選択の権利を尊重しつつ、カルマの解消と霊的進化へ向けて霊的援助を与えてやらねばならない。

何でも簡単に解決してやっていては、それは例えば子供の宿題をぜんぶ親が教えてやるようなもので、本人のためにならないどころか、逆にマイナスの素地を作って行くことになるであろう。

 イエスの処刑後の真相についても、やはり人間の努力によって少しずつ解明していくべきであるというのが私の考えであり、また、いつかは必ず解明されるものと信じている。第一回ニケア会議の真相が十数世紀のちに解明されたように、イエスの死の真実を物語る資料もいつかはきっと発見されるであろう。

私が互いに食い違う説をあえて紹介したのも、今の段階では私の独断は控えるべきであるとの考えから発している。そうやって幾つもの説を検討していく作業の過程で得られるものからいろいろと教えられる。それが人間としての正しい有り方だと思うのである。


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