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The Vital Message
by Aethur Conan Doyle(1919)

Psychic Press Limited
23 Great Queen Street,
London, WC 2 B 5 BB, England.
 



 第二部 重大なるメッセージ  
     
             
     
        

   第二章 霊魂説の弁護  第三章 スピリチュアリズムの科学的基盤 
  第四章 向上進化を基調としたスピリットの世界    第五章 バイブルに見る心霊現象


    まえがき
 

   前著『新しき啓示』(第一部)で私は、迫りくる人類の意識革命の曙光のようなものについて述べた。本書ではすでに太陽は高く昇り、見えざる世界との関係(つながり)も一段と明確になってきた。私はそれより詳細に、そしてより広汎にわたってお目にかけようと思う。

 今、ペンを手にして遠く人類の未来を思いやる私の脳裏に、かつてアルプス山脈の中で岩と雪だけの荒涼とした頂上から、遠くイタリヤの方角を見渡した時のことが蘇ってくる。ロンバルディアがまばゆい太陽の光の中で青い湖と緑の山並みの一大パノラマとなって広がり、その遠い果ては黄金色のモヤとなって地平線を包み込んでいた。

 新しい啓示によって、今この荒れ果てた地上の彼方に、約束された素晴らしい世界が待ちうけていることが明らかとなった。先駆者たちは、もう、とうの昔にその峠を超えている。みずから目を被う者はいざ知らず、目をしっかりと見開いている者には、その素晴らしい世界が鮮明に見えている。もはやその事実の認識を妨げるものは何一つ存在しない。

 私の同志の一人であるV・C・ディザーティス氏は、大乱の後にいつもささやかれる〝救済〟は、この度は霊界から地上への下降の働きかけではなく、地上界から霊界へ向けての上昇の努力によって、両者が融合することによってのみ達成されることになろうと述べている。その当否は別として、少なくとも興味深い考えであることは確かである。

 しかし私の考えでは、そこまで大がかりな逆転は無理としても、われわれはすでに科学と宗教について、そして人生そのものについての考え方を、根底から改めさせるに十分な知識を手にしている。その変革がどういう形を取るか、そしてまた、その根拠と証拠とはいかなるものか、それを本書で述べてみたいと思っている。
                          一九一九年七月 A・コナン・ドイル





 
第一章 迫られる人類の意識改革

 悲劇の体験から学ぶべきこと      
 この第一次大戦をはさむ時代に生をうけた世代の人間は、人類の数知れない世代の中でも、かつてなかった恐怖の体験をさせられる運命(さだめ)にあったと言えよう。実はこれには、絶対に否めない、そしてまた、絶対に見過ごしてはならない、厳粛な事実が控えている。その苦難に耐え抜いたわれわれは、それが意図している教訓を学びそして後世に残さないことには、苦難を体験した意味がないということである。今この時点で学びそして認識し合わないで一体いつ学び、いつ認識し合うというのか───これほどの霊的な掘り起しと地ならしとタネ蒔きの準備が行われることは、二度とあり得まいと思うのである。

 この恐怖に満ちた五年間の犠牲と緊張に虐げられたわれわれの精神が、もしも何一つ変革を生み出さなかったとしたら、せっかくの霊界からの新しいインスピレーションの流入に応え得る資格を持つ者が、果たしてほかにいるであろうか。もしもただの悲劇の体験体験の一つで終るとしたら、人類の未来はまさに絶望的となろう。そして幾世紀にもわたって向上の可能性は見いだせないことであろう。(1)

 人類はなぜこんな悲劇的体験をさせられるのであろうか。万物の創造主が新しい民族の連帯関係をこしらえるために、地球上の全人類を坩堝(るつぼ)の中に入れて混ぜ返し、とことん疲弊させているのだなどと考える浅はかな人間もいるようである。が、このたびの激動の原因とその目的は、そんなものよりは、はるかに深遠なのだ。本質的には宗教的なものであり、政治的なものではないのである。国家間の小ぜり合いを超えた、もっともっと深いところにある。これから千年のちには、そうした国家間の政治的問題の結果はたいした意味を持たなくなっているであろう。そして逆に、宗教的問題の結果は世界規模の重大な意味を持つに至っていることであろう。

 その宗教的意味とは、今日の退廃的なキリスト教の大改革である。新しい形による霊的交流と、その結果として得られた死後の明快な実証を取り入れることによって、複雑怪奇な組織を思い切って簡素化し、不純な人工的教義を取り除き、活性のあるものにすることである。

 大戦によるショックは、われわれ人類に精神的ないしは道徳的な真摯さの大切さを意識させ、勿体ぶった宗教的みせかけの仮面をはぎとる勇気を与え、壮大な新しい啓示を理解し取り入れていかざるを得なくなるように仕向けるためだったのだ。偏見のない心の持ち主ならば、近代スピリチュアリズムが蒐集した証拠と霊界通信が、質量ともに文句のつけようのないものであることに納得がいくであろう。



 退廃と残虐をきわめた為政者の所業
 この大戦の勃発する以前の世界情勢は酷いものだった。人間の悪魔性をのぞかせた所業を世界の歴史にたどってみても、十八世紀から十九世紀にかけて発生したものに匹敵するものが他に見出せるであろうか。ロシアをみるがよい。貴族界の野獣性と民主政界の退廃性、双方が行った虐殺のかずかず、ユダヤ人の虐待はどうだったであろうか。

 ベルギーのレオポルド二世がアフリカで行った虐殺と虐待のかずかずはどうだったであろうか。まさに生身の悪魔性の仕業だった。そのレオポルド王の死に際してのローマ教会の態度はどうだったか。その悪魔的行為の一つたりとも非難することなく、枢機卿からの賛辞のうちに恭々(うやうや)しく葬っている。

  南米のプートゥマイオ川(アマゾンの支流)における同様の残虐行為の酷さを思い出してみるがよい。そして、その時に取った英国の資本主義者たちの態度はどうだったであろうか。暴動そのものには関与しなかったものの、見てみぬふりをして、その裏で利益を搾取していたではないか。また、トルコにおいて頻発していた大量虐殺を思い出してみるがよい。

 世界各地における〝持てる者〟たちの淫乱の生活と〝持たざる者〟たちに対する獣的行為のかずかず、ファッション界の軽薄文化、宗教界の陰湿さと良心の麻痺ぶりはどうだったであろうか。深い、真の霊的衝動を感じるものは絶え果てていた。特にドイツにおける宗教界の組織的な唯物主義と傲慢と無慈悲さはどうであったであろうか。血の通ったキリスト教精神を連想させるものすべてが否定されていた。総じて、人類がこの時代ほど非人間的側面をむき出しにしたことは、かつてなかったと言ってよい。

 強いて明るい側面を探せば、それは主として宗教とは無縁の、実生活に不可欠の分野、たとえば病院や大学、市民団体による慈善事業に見出すことができよう。キリスト教国のヨーロッパだけでなく、仏教国の日本でも顕著に見られた現象だった。それは、個人的に見れば人類にはまだ徳性も寛容性も善性も残っていたということを物語っている。が、組織体としての教会はもぬけの殻となり、人類にとっての霊的滋養分などさらさら持ち合わせず、魂の抜けた儀式典礼の世界と化してしまい、人間一般の行為に役立つものは何一つ見出せなくなっていた。

 私が述べていることは決して誇張ではない。これで、一体あの大戦の勃発に秘められた理由───最初に私が〝厳粛な事実〟と述べたもの───が何であったかもわかっていただけるのではなかろうか。ただのゴシップパーティにすぎない豪華な茶会、戦争崇拝、土曜の夜の酒盛り、党利党略に終始する政治、神学的詭弁、こうしたものとの縁を切り、今こそ人類が危機存亡の重大な局面に立っていることを悟らせるためのものではなかったろうか。いいかげん偽善の仮面を脱ぎ捨て、真摯なる赤心と勇気とをもって霊的真理の指示するところに従うべきであることを教えていたのではなかろうか。


 認識を改めるべき二つの通念
 その霊的真理の真実性は、怠惰や臆病、既得の権益に目をくらまされなかった先輩たちを、例外なく得心させてきたのである。われわれもその真理とは何なのか、いかなる方向へ向けての改革を迫られているのかを理解しなければならない。私の心の中にあるのは、その新しい霊的啓示のみである。が、それが現実的な影響力を及ぼすためには、それに先立って人類に要求されている二つの意識改革がある。スピリチュアリズムという名の新しい啓示そのものの真実性については、私は絶対的な自信をもって説くことができる。が、その二つの改革については読者の評価を仰がねばならない。

 まず、現在の西洋人の宗教思想の根幹となっているバイブルには、〝生命あるもの〟(新約)と〝生命なきもの〟(旧約)とが同居していて、後者が前者を汚染している事実を指摘したい。言うなればミイラと天使とが同棲しているようなもので、これは、どう見ても不自然である。

 旧約聖書は、宗教学者の手にゆだねられているうちは害は少ないが、それが教えを説く者や指導する者の手にゆだねられては、明快な思考も筋の通った教えも不可能となる。一冊の書物として読む時はすばらしい本である。最古の物語もあり、豊富な知識が盛り込まれており、歴史あり詩歌ありオカルトあり伝説ありで、読む者を飽きさせない。

 しかし、現代的な意味での宗教とはまったく無縁である。君臨するのは特殊な民族の神(ゴッド)で、これがまたひどく人間的で、怒ったり嫉妬したり復讐したりする。それが旧約聖書の全編にいきわたっている。その中でも最も霊的で美しいとされている詩篇でさえも、そのゴッドが仇敵に仕返しする。身の毛もよだつような話を歌っている。大量虐殺をそそのかし、一夫多妻を大目に見、奴隷制度を容認し、いわゆる魔女を焼き殺すことを命じる神である。現代のわれわれは、盗みをすると両手を切断したり、ヒゲの手入れを怠っただけで罰を与えたりする掟は、一笑に付すであろう。そんな支離滅裂な内容のものを〝聖なるもの〟と認めるわけにはいかない。どう屁理屈を並べても、まともな人間を納得させることはできないのである。

 ところが、そのムチャクチャな掟を口実にして、過去にどれほど多くの残虐な行為が行われ、そしてそれが正当化されてきたことであろうか。特に宗教戦争においてそうであった。みな、旧約聖書からの思いつきだったのである。〝容赦なく打ちのめせ〟〝目には目を〟──こうした殺人鬼的な言葉が狂信的な指導者の口から発せられ、歴史を血に染めていったのである。

 新約聖書の方が重んじられている今の時代でさえも、その教えは、どぎつい旧約聖書によって光を曇らされているに相違ない。その文学的価値は保持したいものだが、宗教的思想の泉を毒する要素だけは取り除きたいものだ。


 
神の子イエスの〝死〟よりも人間イエスの〝生きざま〟の方が大切
 以上が、人類の未来をより明るいものにするためにまず改めねばならないと私が考えている点の一つである。それに比べれば、これから述べるもう一つの点は、さして大きな問題ではないかも知れない。改めるというよりは観点を少し変えるだけのことである。

 よく知られている通り、イエスが地上で生活したのは、バイブルの記述から推定するかぎり、わずか三十三年間であり、捕縛から処刑、そして蘇りまでは一週間足らずにすぎない。にもかかわらず、総体的に見てキリスト教の中心はその悲劇的な〝死〟にあり、死に至るまでの美しい生涯にはあまり重きを置いていない。双方とも重大ではあるが、前者に重点を置きすぎ、後者の扱い方が軽すぎるというのが私の見解である。

 確かにイエスの死は美しく、感動的である。しかし、真理のために身を犠牲にした例は、何もイエス・キリスト一人ではない。それに匹敵する例を歴史の中に拾えば、何十人でも挙げることができる。が、その生きざま───生涯を一貫して流れる隣人愛、心の広さ、無私の心、勇気、理性的判断力、進歩性に焦点を当てた時、そこには超人的といえるほどの群を抜いた人物像が浮かび上がってくる。新約聖書に記録されている断片的な、それも翻訳された、間接的な資料が描いているものなのに、われわれはただただ深い畏敬の念に満たされるのである。かのナポレオンでさえこう語っている。


「・・・・・・その点、キリストは別格だ。キリストに関する一つ一つが私には驚きである。その精神の高邁さには不意を突かれたような驚きを覚えるし、その意志の気高さには戸惑いすら感じる。キリストとこの世的なものとの間には、まず比較すべきものが見出せない。まったく別格なのだ。キリストに近づけば近づくほど、そしてキリストの生きざまを細かく見れば見るほど、すべてにおいて私には手の届かない存在であるように思えてくる」


 実は、それほどの高級霊がこの地上に降誕した本当の目的は、ナポレオンをそこまで感嘆させるほどの大人物を、魂を鼓舞する見本として人類に垂示することにあったと私は考える。もしも人類が、身代わりの犠牲だの堕罪だのといった空想上の教義やそれにまつわる謎めいた議論にうつつを抜かさずに、キリストの人物像そのものを手本とする努力を真剣に続けてきていたならば、今日の人類の文化と生き甲斐ある人生のレベルがずっと高度のものとなっていたことであろう。

理性と道徳性のカケラもない教義こそが、最高の知性と人格をそなえた人物をキリスト教に反撥させ唯物主義へと追いやった元凶だったのである。真理への憧憬の本能がどうしても承服できないものと葛藤しているうちに、真実なるもの、美なるものを失っていったのである。

 キリストの最期は確かにその気高い生涯に相応しいものであり、有終の美を飾ったと言えるかも知れない。しかし、人類の宗教にとっての永続性のある基盤を遺してくれたのは、その生きざまだった。もしも人類がそれを日常生活における行為と宗教の規範として仰いできていたら、後世に生じた宗教戦争も、内部の権力抗争も、宗閥間の対立による悲劇も、よしんば全面的には回避されなかったとしても、少なくとも最小限にとどまっていたことであろう。



当時のユダヤ社会の特殊性の認識も大切
  が、このキリストの生涯と、それが有する模範としての効用を考察しようとすると、他にもいくつか考慮に入れなければならないことがある。その一つは、キリストの生涯を煎じつめれば、当時の伝統的宗教であるユダヤ教を強健な常識と勇気をもって糾弾し、儀式典礼の無意味さを白日のもとにさらし、それに代わる霊的真理を説いたということに尽きるであろう。そこにこそキリストの信奉者にとっての、心掛けの肝心なところがあるのであって、ローマ帝国が権威の拡大のためにかってにこしらえた何の根拠もない教義を後生大事に受け入れることではあるまい。

 キリスト教の権威と、人間の一生がもつ権威の一体どちらが大切であろうか。〝聖なる書〟の観念のもとに、用語の一つ一つにこだわり、書記による綴りの間違いや書き損じまで大切に保存するなどということは、狂気の沙汰というべきである。もしもキリスト教が例の〝童子のごとき〟正直さをもってユダヤ教を信奉していたなら、〝キリスト教〟などというものは生れなかったであろうことは、容易に想像のつくことである。キリストは当時の伝統的信仰の間違いを指摘し、聖職者階級の堕落を糾弾したのである。

 現在、クリスチャンと称する人たちはその点に思いを馳せ、勇気をもって新しい啓示に耳を傾けるべきである。キリストは一度たりとも自分のもたらした啓示がすべてであり最終的なものであるとは言っていない。そのキリストの言葉すら正しく理解されていないのである。

 そのキリストの啓示に匹敵するものが、この現代に至って同じ真理の源から届けられたのである。ただ、キリストに匹敵するほどの大人物はまだ出現していない。キリストの出現にはあの時代なりの意味があったのであろう。私は、時が熟せば、これからもキリストほどの大人物の出現も有り得ると信じて疑わない。



イエスの言葉は〝聞き伝え〟にすぎない
 考慮すべきもう一つの点は、そのキリストの啓示はキリスト自身が直接書き記したものではないということである。キリストがそう語ったと、間接的に伝えられたものに過ぎない。もしもキリスト本人が書き残してくれていれば、われわれの立場にとっても有難かったのであるが・・・・・・

 が、残念ながらすべては聞き伝えによるものであり、しかも、その主役たちは、真面目だったのかも知れないが教養の程度は低かった。もっとも、あのローマの統治下のユダヤにおいて、漁師や収税吏その他の平民に読み書きのできる人がいたということは、当時としては大変な教養の高さを物語る事実かも知れない。

 ルカとパウロはもちろん身分も教養も高かった。が、二人が手にしたキリストに関する情報は、身分も教養も低いキリストの弟子たちを通して得たものだった。その二人の筆になる記録は、総体的に見れば一貫性があり、キリストの教えと人物像が明快に描かれている。しかし同時に、形而上的な問題になると、矛盾撞着がいくつか目につく。

 たとえばキリストの復活に関しても、四つの福音書は細かい点でかなり食い違っている。法律的に見るかぎり、とてもそれらの文書を証拠性のあるものと見なすわけにはいかない。常識的に見て、どの福音書も霊感を受けて書いたものとは考えられない。記録上の間違いもあったろうし、個人的信念もまぎれこんでいようし、東洋的誇張表現にも問題があるし、翻訳上の問題も考慮しなければならないであろう。

 改訂版ではそうした点がある程度考慮されていることは確かである。が、例の〝儀文は殺す、されど霊は生かす〟の名文句から、われわれは、キリストはあの時点で今日に至るもなお続いている〝文字〟の弊害を予見していたものと信じてよさそうである。それは、キリスト自身がユダヤ教の神学者に手を焼いた体験から来ているのかも知れない。

 その意味からも、今日のわれわれは、キリストの教えを適用する際には理性と叡智を用いるべきであろう。キリストの教えは、当時の社会環境に基づいて当時の表現形式を用いたところが多分にある。それをそのまま今日の世界に当てはめるのは考えものである。たとえば〝汝の敵を愛せよ〟と言われても、ドイツ軍の捕虜となった英国兵士にドイツ皇帝が愛せるだろうか。〝自分の持ち物を売ってでも貧しい者に施せ〟と言われても、今の時代にそんなことをする意味があるだろうか。

 あえてそれを今日の世界に当てはめて実行することは、強健な良識を最大の特質とするキリストの教えを、むしろ曲解することになる。人間性の本質から考えて不可能なことを要求することは、合理的なものを要求する際にその訴えを弱めることになるであろう。



 新しい啓示の中のイエス像
 さきに私は、問題点としてあげた三つの課題、すなわち旧約聖書からの卒業、キリストの〝死〟よりも〝生〟をもっと重要視すべきであること、そして現代の宗教の基盤とすべきものとしての新しいの啓示のうち、絶対的根拠をもって主張できるのは、最後にあげた新しい啓示のみであると述べたが、これは私があえて遠慮がちに述べたものである。最初にあげた旧約聖書の問題はあくまでも私個人の見解であるが、次のキリストの実像とその教えの本質については、霊界通信にもたびたび取り上げられているテーマである。

 霊界通信は、通信霊がいま霊界で置かれている位置によって視点が異なるし、さらには、地上時代に吹き込まれた信仰が先入観となって根強く残っていることもある。が、そうした点を考慮しつつ信頼のおける通信を読んでみて、第一に言えることは、キリストによる罪の贖い(贖罪説)は全然と言ってよいほど説いていないということである。

  キリストが地上人類として空前絶後の最高級霊の降誕であることは異口同音に認めている。その意味では確かに〝神の子〟と呼ぶにふさわしいが、われわれもみな同じく神の子であり、ただ、キリストの方がより神に近い存在であったというにすぎないとしている。

 死後そのキリストの霊とのお目通りが許されるのは、ごくごく稀なことに属するという。昼となく夜となく、数えきれない人が他界していっていることを思えば、それは当然のことであろう。そのうちわれわれも他界するわけであるが、かりにお目通りが叶えられたとしたら、キリストはたとえようもなく優しい、同情心にあふれた、力強い指導者であると同時に、親しみのある先輩霊の一人でもあろう。そのキリストの霊的影響が、姿は見えなくとも、地上の全存在に及んでいるという。地球圏に属するあらゆる界層の中心的存在なのである。

 次の第二章ではスピリチュアリズムを本格的に扱うことにするが、その前に、さきの二点をもう一度おさらいをしておきたい。

 旧約聖書の影響もキリストの贖罪死の問題も、致命的というほどの重大な問題ではない。そういうものに関係なく、新しい発見が次々となされていくことであろう。そもそも、古くから続いている宗教的慣習は、そう一気に変えられるものではない。ましてや神学者が会議を開いて、旧約を書棚の奥にしまい込んでバイブルは新約のみとする、といった英断が下されるなどといったことは望むべくもないことである。同じく、キリストの扱い方においても、教会はその〝死〟に重きを置きすぎていた、といったことが正式に表明されることも、まず有り得ないであろう。まだまだキリスト教会の道徳的勇気は、その高さにまで至っていない。


重大な局面にさしかかっている人類    
 が、過去の血なまぐさい人類の所業への反省から霊的覚醒と真剣さが促進されて、理性的に納得のいくもの、真実なものが選り分けられるようになっていけば、たとえば旧約聖書について言えば、ちょうど動物の退化器官が進化の過程の低い段階を物語るものとして残っているように、すでに存在価値を失った文献であるとの認識が行き渡ることであろう。そうなった時、それは人類が二度と踏んではならない轍という形での教訓として以外には、人類の行為への影響力は失っているであろう。

 キリストの教訓についても同じことが言える。永遠の刑罰などとしたおどろおどろしい説が遠からず影をひそめるにつれて、キリストに関する謎めいた部分が消え、今日の異端の説が明白なる常識となっていくことであろう。時が至れば、そうしたことがすべて調節されていくことであろう。

 それは時の流れにまかせることにして、われわれはすでに新しい重大なメッセージを手にしていることを次章で解き明かすことにしたい。その中には骨と皮にやせこけた生命に肉づけし、ミイラに生命の息吹を吹き込むものが秘められている。個性の死後存続が確実に裏づけされ、自分の行為には最後まで自分が責任をもち、いかに権威あるものであろうと、それに責任を転嫁することはできないという倫理感が確立されれば、人類は、かつてない強固な道徳的規範を手にすることになるであろう。われわれは今まさに、その重大な局面に立っているのである。

 忌々しい近代の世界史は、ローマ帝国に始まった西洋の知的暗黒時代───神への信仰を忘れ、束の間の物的快楽に自我の霊性を忘れた、愚かしい人類の所業のクライマックスだったのだ。

 
 訳 註 
ここは第一部の〝まえがき〟で述べたことを念頭において述べている。すなわち、第一次大戦勃発前にパイパー夫人が〝新しい啓示〟の流入を予告しながら、しかしその前に大きな掃除が必要であると述べ、世界中で戦乱が起きることを予告したことで、事実、歴史はその通りの道をたどっている。                                                                        
      


  第二章 霊魂説の弁護

 懐疑の暗雲を吹き払う科学的研究
 ハイズビル事件を契機として新しい啓示が次々と入手されはじめた頃、ブルーム卿①が奇妙な比喩を用いてこう述べた───〝一点曇りなき無神論者の青空に、たった一つの小さな雲が漂い始めた。それが近代スピリチュアリズムである〟と。

 ふつうなら〝無神論の暗雲の切れ間にチラリと青空が見え始めた〟とでも表現すべきところであろう。しかし、これを裏返せば、卿のキリスト教への懐疑がいかに徹底したものであったか、そしてまた、スピリチュアリズムのもつ重大性をいかに強く意識していたかを物語っていると言えよう。

 ジョン・ラスキンも、死後の生命に確信を得ることができたのはスピリチュアリズムの科学的研究のおかげであると述べている。同様の趣旨のことを何十人、いや何百人もの著名人が認めている。どれ一つ取り上げても、真実を証言するに十分な重みをもった名前である。彼らは、言うなれば、その曙光を最初にとらえた〝高き峰〟だったのかも知れないが、その光は、これがさらに広がれば、いずこの低地にいる者にも拝めるようになることであろう。

 そこで、この二千年の間に他の何ものにも為し得なかった、人類の思想と行為の改革を必ずや成し遂げるであろうスピリチュアリズムを、これからいっしょに検証してみたいと思う。私は、その良い面だけを紹介するようなことはしない。まだまだ残されている問題もあるので、それも紹介したい。核心的な面において絶対的な自信をもって扱うことができれば、他のすべての面における真実性を臆することなく主張することができると信じるからである。

 生命を失って血の通わなくなった既成宗教に活力をもたらすことは確実と信じられるこの新しい潮流は、〝近代スピリチュアリズム〟と呼ばれることがある。これは意味のあることである。というのは、その底流にある霊性は、表現形態こそ異なっても、人類の歴史とともに存在してきたのであり、特に地球上に生じた全宗教の理念の根幹において赤々と燃えさかってきたのである。バイブルにもそれが一貫して流れている。



宗教の基本原理としてのスピリチュアリズム
 
スピリチュアリズムは、その霊的真髄を、かつては〝しるしと不思議〟としてイエスが顕現してみせたのを、実験室内での霊媒現象という形で見せようとしたものである。ところが、残念ながらニセモノを演出して金儲けを企むペテン師によってスピリチュアリズムの名が汚され、不幸な出来事②によって陰湿な印象を与える結果となってしまった。苦慮した関係者の中には、ちょうど〝mesmerismメスメリズム〟(催眠術)が〝hypnotismヒプノティズム〟(催眠学研究)と言い換えることによって長年の中傷から逃れることができたように、〝心霊的宗教〟とでも言い換えてはどうだろうと考えたほどだった。

 その一方には、そんな非難中傷をものともしなかった先駆者の一群がいたことを忘れてはならない。輝かしい経歴と世界的名声に傷がつくことを恐れず、〝正気〟を疑われることさえ顧みずに、スピリチュアリズムの旗印のもとに、真実は真実として堂々と公表したのだった。これを〝近代スピリチュアリズム〟と呼ぶのである。

 新しい宗教ではない。そんな単純なものではない。全人類が等しく共有できる霊的遺産なのだ。もっとも遺産の全部ではない。まだまだ一部に過ぎない。が、その一部が、かつて蒸気が小さなヤカンの蓋を躍らせる現象が蒸気機関車の発明へとつながったように、いずれは普遍的な人類の指導原理となっていくことであろう。つまり最終的には一つの宗教としてではなく全宗教の基本的原理としての存在意義をもつに至るであろう。

 宗教ならば、もう地球上には多すぎるほど存在する。不足しているのはその普遍的原理・原則なのだ。

 

ハイズビル現象の意義
 スピリチュアリズム勃興のきっかけとなったハイズビル現象は、それ以前にもしばしばみられていた怪奇現象と少しも変わったところはない。が、大きく違っている点が一つだけある。その当事者であるフオックス家の家族が怪奇現象にただ驚き、かつ怖がるだけで終わらずに、それを引き起こしていると思われる〝何ものか〟に向かって語りかけ、そこに見事に交信が成立したという点である。

 一七二六年にエプワースで起きた現象も、現象自体を見るかぎりハイズビルのものとよく似ていた。メソジスト派の創立者であるジョン・ウェスレーの父親サミュエル・ウェスレーの牧師館で起きたものであるが、こちらから語りかけても、ネズミの鳴くような声しか返ってきなかったという。もしもフォックス家のようにうまく行っておれば、それがスピリチュアリズムの発端となっていた可能性もあるわけである。

 フォックス家の場合は、二人の幼い姉妹の一人が奇妙な叩音(ラップ)のする方へ向かって「あたしがする通りにしてごらん」と言って手を叩いたら、それと同じ叩音が返って来た。「じゃ、あたしの歳は?」と聞くと、ちょうどその子の年齢の数だけの叩音が返ってきた。こうして、その目に見えない原因の主と人間との間で〝知的な〟通信が交わされたのだった。

 知的といってもあまりに素朴であり、これほどアカ抜けのしない話もないが、この現象に当代の第一級の学者たちが関心を向けたことによって、人類史の大転換の一つ───王朝の没落や大軍の壊滅的敗走よりも重大な意義をもつ事件───であることが明らかとなっていったのである。今後ますますその意義の重大性が明らかにされていくことであろう。

 かりに将来、ハイズビル事件をどこかの画家に一枚の絵に描いてもらったら、どんなものになるであろうか。たぶん、掘っ立て小屋のような木造の平屋の居間で、その子が笑顔で天井を向いて手を叩いている様子───まわりでは半ば畏れ、半ば懐疑の念を露わにした近所の人々が大ぜい集まって見守っている風景を描くことであろう。その家屋の暗い片すみでは、得体のしれない新しいエネルギーがうごめいていた。同じエネルギーが、かつても何度か活動していたのだが、それがついに地上に根づいて、人間の思想を根本から変革するまでに影響を及ぼすことになったのである。

 それにしても、なぜそれほどまで重大な結果が、そんなチャチな原因を通してもたらされたのであろうか、と誰しも疑問に思うであろう。が、ギリシャ・ローマの大思想家たちも、パウロや漁師のペテロをはじめとする無教養な弟子達が、女性や奴隷やユダヤ教の異端者たちと共に、自分たちの博学な理論を超えたものを説き、太古からの哲学を打破してしまったことに、やはり〝なぜ〟という驚きをもったのである。

 目的を成就するための手段として何がもっとも適切であるかは、神のみぞ知る問題であり、それはわれわれ人間が勝手に想像するものとは滅多に一致しないものである。


 心霊現象のメカニズム
  むろん今では、その後のスピリチュアリズムの飛躍的発展によって、一八四八年のハイズビル村で起きた現象の詳しいメカニズムが明らかとなっている。当時はきわめて特殊な異常現象のように思われていたが、よく分かってみると、宇宙のすべての現象と同じく、きちんとした法則と条件の重なり合いによって生じていたのである。

 簡単に言えば、霊界側に地上的波動をもつスピリットがいて、彼らは地上の霊媒的素質をもつ人間から発散される特殊なエネルギーを活用する方法ないし技術を心得ている。一方、地上にそうした霊媒的素質をもった人間がいて、その両者が現象の起きやすい条件下で揃うということである。例えてみればカメラのシャッターを押すタイミングが、被写体とそれを撮る側との間でピタリ一致したようなものである。

 それと同じ効果を実験室で求めて見事に成功した最初の科学者が第一部で紹介したクローフォード博士で、『心霊現象の実在』 『心霊科学の実験』の二冊にまとめている。その中で博士は、発生した物理現象の重量と同じ重量だけ霊媒の体重が減ることを確認している。結局、霊媒現象の秘密は、スピリットが霊媒の持つ特殊エネルギーを利用している点にある、ということになる。

 では、一体なぜ同じ人間でありながら、そうした体質の人間とそうでない人間とがいるのであろうか。これは音楽的天才と音痴とがいるのはなぜかという疑問と同じで、その理由はわからない。当初は心霊現象といえば物理的なものと思われていて、テーブル現象(人間が手を触れなくても宙に浮く)や楽器演奏(人間が手を触れなくても演奏される)といった他愛ないものでありながらも、目に見え耳に聞こえるものばかりに注意が向けられた。

 その単純さが詐術行為(トリック)を生む原因ともなったのであるが、その後、それとは別に、知的ないし精神的要素の強い心霊現象もあることが分かってきた。自動書記・霊視・霊聴・直接談話・入神談話などなど、キリストやその弟子たちが見せたのと同じものであり、それもすべて、たった一つの霊的エネルギーの顕現であることが明らかになっている。

 
詐術行為を助長した原因の一つとして、実験室を暗くする必要があったことがあげられるが、それは必ずしも絶対条件ではなく、このあと詳しく紹介するD・D・ホームなどは、いつでもどこでもやってみせた。それはホームの能力の偉大さを物語るものではあるが、同時に、明るい部屋より暗い部屋の方が、また、じめじめした天候よりもからっとした天候の方が、良い現象が見られるというのも事実である。

 そこに、心霊現象もかなり物質的要素が関与していることの証拠があるといえるであろう。無線電信も昼間より夜間の方が鮮明であり、雨の日は聞こえにくいという事実は右の事実を裏づけているし、心霊実験では赤色光を使うのがいちばん害が少ないとされている事実は、写真家の体験と共通している。


 否定派に欠落している学問的論拠
 
今ここでスピリチュアリズムの勃興と発達の歴史を細かく紹介する余裕はない。全体としての動向は、そのスタートの時点から、これを大変なことして受けとめる派と、真っ向から茶番と決めつける派とがあった。ヘヤ教授やグリーリ氏③などは、まっ先に関心を寄せ、その真実性に得心した教養ある少数派であった。それが原因で気の毒な人生をたどった著名人も各界にいた④。そうしたケースは、否定する人たちの無理解がいかに非人間的なものであったかを物語るものであって、スピリチュアリズムの非を物語るものではない。

 否定派は当時の唯物思想に基づくもので、この科学万能の時代にキリストの時代と同じような奇跡的現象が起きてたまるかという考えが、その根本にあった。たとえ紛(まご)う方なき証拠を見せつけられても、一瞬どきっとし、たじろぎつつも、〝そんなバカな〟とやみくもに叫んで否定するだけだった。現代の科学者もやはり根本的には唯物的であり、予想もしなかった新しい事実を目の前にすると、公明正大な学者的態度をどこかへ捨ててしまう。

 たとえば、 マイケル・ファラデーなどは、心霊現象のような新しい分野を検討する際には、あらかじめ〝有り得ること〟と〝有り得ないこと〟とを心に用意しておくべきだなどと、とんでもないことを述べている。トーマス・ハックスレーは、霊界通信がたとえ本当にあるとしても、大聖堂のある町の司祭たちのゴシップほどの興味もない、と言った。ダーウィンは、そんなものを信じるようになったら、人間もうお終いだとまで言った。H・スペンサーは、まともな検討もせずに、ただ頭から一蹴しただけだった。

 が、学者のすべてがそうだったわけではない。先に紹介したヘア教授に続いて、物理・化学者のクルックス教授、博物学のウォーレス博士、電気技師のC・F・バーレー、天文学者のフラマリオンなど、その世界的名声を危険にさらしながら、真実は真実として主張した勇気ある学者も少なくなかった。彼らは決してお人好しの軽信家ではなかった。それどころか、詐術行為もあることを知っていた。皮肉なことに、それを暴いたのも大半は彼らだったからである。

 シェークスピアだのシーザーだのと名のって出てくるスピリットを笑い飛ばして、その化けの皮をはがしたのも彼らだった。人類滅亡の予言をしたり、株投機の時機の予測に霊媒を使用する低俗さを非難したのも彼らだった。

 このように、彼らは交霊会を悪用して詐術行為をする者がこの世にもあの世にもいることを知っていながら、なおかつその奥には、動かし難い厳然たる真実があることを確信するだけの広いビジョンと健全な平衡感覚をそなえていたのである。取り巻きに不純分子がいるからというだけで重大な真実から逃げていく、腑抜けの学者ではなかったのである。


 人格と才能を兼ねそなえた霊媒、ホーム
 
当時の代表的な霊媒はスコットランド生まれの米国人DD・ホームで、スピリチュアリズム史上、最高・最大の評価を得ている。ある意味では〝超人〟といってよいこの人物の特筆すべき点は、霊媒として三十年近くを公衆や研究者の前に身をさらしながら、一度も報酬を得たことがなかったことで、信頼のおける理性的な人であれば、よろこんで要請に応じた。照明はどんなに明るくてもよかった。自宅でもよかったし他人の家でもよかった。決して資産家だったわけでもなく、身体的にはどちらかというと弱い方だった。

 現象は、今日知られている心霊現象で出来ないものはないほどで、それもすべて最高の形で見せた。自分自身の浮揚現象はもっとも有名である。重い物体を指一本触れずに持ち上げることもできた。真っ赤に燃えた石炭を素手で取り、それを列席者に持たせることもできた。物質化現象も心霊治療も出来た。スピリットからのメッセージをインスピレーションで伝えることもできた。あまりの素晴らしさに、ホームを超人として崇拝の対象にしようとする動きすら出はじめて、ホーム自信を困らせたこともあった。

 そんなホームにも霊媒能力に盛衰があり、時にはまったく出なくなった時もあった。ホームが人間としても正直者で、欲に動かされなかった人であることを物語る事実として、私は、そんな時にはいかなる要請にも応じなかったということをあげたい。能力の衰えを予見して断ったこともある。パリの〝ユニオン・サークル〟という心霊グループから二千ポンド(現行のレートを二百五十円で換算して五十万円)の謝礼を提示された時も、きっぱりと断っている。

 霊媒能力の間欠性───つまり前回は実に見事だったのに、今回はどうも思わしくなかったりする性質───が、時として霊媒を不純な行為に走らせることがあるのは、残念ながら事実である。道義的勇気に欠ける霊媒はそれを正直に打ち明けることができずに、下手なトリックを使ってしまう。金銭欲に負けるケースもある。第一部でも紹介したユーサピア・パラディーノは物理現象では科学者を圧倒する驚異的なものを見せながら、人間的品性と教養に欠ける人物で、うまく行かない時は平気でトリックを使い、それが簡単にバレるために、研究者たちを面食らわせたものだった。



弁証法学会の〝調査委員会報告書〟
 
スピリチュアリズムの発展途上において、もう一つ大きな時期を画したものに、一八六九年に公表された〈弁証法学会・調査委員会報告書〉がある。この学会はさまざまな知的職業にたずさわる学者によって構成されたもので、その目的は心霊現象の事実性を追求することにあった。

 メンバーの内訳は、神学博士・内科医・外科医・エンジニア・二つの理科学会の代表・弁護士・思想家その他。さらに証人として招待された人の中には、博物学者のアルフレッド・ウォーレス、霊能者のエマ・ハーディング女史、D・D・ホームなどがおり、さらに、文書で証言を寄せた人の中には、詩人で政治家のリットン卿、天文学者のカミーユ・フラマリオンなど、各界の著名人がいて、そうした人々を入れると総勢五十名を超えていた。

 委員会は六つの小委員会に分かれていて、部門別に四十回に及ぶ実験会を催している。その結果を報告書は次のようにまとめている。


一、重量のある物体───時には人間───が何の支えもなしに上昇し、しばらく宙に浮いているところを目撃したと証言した者、十三名。
二、出席者とはまったく別の人間またはその一部が出現し、それを手で触れたり握ったりして確認した者、十四名。
三、出席者全員の両手が見える状態の中で、それらとはまったく別個の手によって身体のあちらこちら───時にはこちらから要求した箇所───を触れられたと証言する者、五名。

四、五感で確認したかぎりでは、いっさい手を触れられていない楽器が、ひとりで曲を演奏したと証言する者、十三名。
五、霊媒が真っ赤に燃えている石炭を手のひら、または頭部に置いても、火傷も毛髪の焦げも認められなかったと証言する者、五名。自分も同じ実験をして平気だったと証言する者、三名。
六、叩音(ラップ)、筆記、その他の方法でその時は知らなかった事実を知らされ、後で確認して本当であることが判明したと証言する者、八名。

七、それとは反対に、細かい情報を知らされながら、それが全く間違いであることが判明したことを証言する者、一名。
八、人間業では不可能な速さで鉛筆と絵具を使って何枚かの絵が描かれたことを証言する者、三名。
九、何日か前、あるいは何週間か前になされた予言がその通りに実現した───何時何分まで正確だったものもあった───と証言する者、六名。

 このほかにも入神談話・病気治療・自動書記・密室における花や果物の物品引寄現象(アポ―ツ)・直接談話などについての証言もある。〈報告書〉は〝確信〟の表明をもって締めくくっている。

《本委員会は、右に紹介した事実よりもさらに驚異的な現象が存在することを証言する多くの証人の高潔な性格と高度の知性、小委員会によって支持されている証言の多さ、多岐にわたった現象でいっさいの詐術も錯覚も存在しなかったという事実、さらには、現象の異常さと、それにもかかわらず全文明国のあらゆる階層においてその超自然的原因について大なり小なり関心を抱いている人たちがきわめて多いという事実、しかもその合理的説明がいまだに得られていないという事実、等々にかんがみて、この分野はこれまで以上の真剣かつ慎重な調査・研究に値するとの確信を表明する義務があると考える》

 これでお分かりのように、この調査委員会のメンバーの構成にも調査報告書にも、偏見というものはまったく見られない。公表されたのが一八六九年で、以来、半世紀近い歳月が流れている。その間に出された研究成果や見解は大変な量にのぼるが、一部を除いて、この委員会の報告書をしのぐものは出ていない。にもかかわらず、当時のジャーナリズムはこぞって嘲笑的態度を取った。もしも内容が正反対のものだったら、こぞって賞賛の拍手を送っていたであろうことは想像に難(かた)くない。


 
物理的なものから精神的なものへ
 時代はそれより数年さかのぼるが、当時の著名な数学者のデ・モーガン教授が妻との共著『物質から霊へ───十年にわたる霊現象の研究成果』を出版している。最高の頭脳の持ち主が全力投球したものだけに、今でも読む価値のある一冊である。

 その中で教授は、スピリチュアリズムがやがて物理的なものから精神的なものへ、たとえば自動書記通信へと移行していくであろうと予測している。

 確かにその予測どおりの経過をたどり、最近では直接談話と心霊写真が大勢を占めている。そのいずれを取り上げても、頭から懐疑的態度を取っている者は、とても実験会に臨むことはできないほど生々しいものである。

 直接談話というのは、霊媒は実験室の片隅に腰かけているだけで、その霊媒から離れた場所からスピリットの声がする現象で、現在では米国のアマチュア霊媒フレンチ女史が第一級の一人にあげられる。かなり年輩の方で、きゃしゃな身体をしておられるが、口を塞がれていても男性的で力強い声が身辺から聞こえてくる。

 私が調査した四人の霊媒の場合も、スピリットの声には生々しい実在感があって、腹話術説などは問題にならない。四人のうち一人については、途中で着色した水を口に含ませたが、同じ声による話が続いた。もちろん終了後その水を吐き出してもらって確認している。


心霊写真の始まり
 心霊写真というのは、普通に撮った写真に他界したはずの人物像が写る現象で、記録をたどると米国ではWH・マムラー、英国ではFA・ハドソンが最初に撮ったことになっている。

 
マムラーが撮った有名な心霊写真にリンカーン大統領が写っているものがある。うわさを聞いてリンカーン未亡人が匿名で訪れて撮影してもらったところ、左肩に手を置いた大統領が写っていた。マムラーは最初そうとは気づかず、出来上がった写真を夫人に見せたところ、居合わせた別の女性が、

「それ、リンカーン大統領によく似ていますわね」と言った。そこで婦人が、
「ええ、私はリンカーンの家内でございます」と言ったので、それで初めてマムラーも事実を知ったという。原版には息子の姿も写っているが、うっすらとしていて現像できないという。

 スピリチュアリズムの観点から本格的に心霊写真と取り組んだのは、イングランド北西部のクルー市に住むウィリアム・ホープである。ホープはもともと職工で、ある日の昼の休憩中に仲間の一人をレンガ塀を背にして撮ってやったものに、その仲間とは別に一人の女性の姿が写っていて、しかもその姿を通して背後のレンガ塀が見える。本人に見せると、それはかなり前に亡くなった姉だが、どうやってこんな写真をこしらえたのかと訊ねられた。その時のこをホープはこう書いている。


 
「当時はまだスピリチュアリズムのことは何も知らなかった。工場の仲間たちにそれを見せたところ、その中の一人が〝それは心霊写真というやつだよ。もう一度同じ場所で同じカメラで撮ってみるといいよ〟と言った。その通りにやってみたら、やはり同じ女性が写っていた。しかも今度は小さい子供を連れていた。不思議なことがあるものだと思い、興味がつのっていった」

 やがてホープは英国国教会の副監督でスピリチュアリズムに理解のあったコリー氏のすすめもあって心霊写真を専門的に研究するようになり、間もなく同市に住む霊能者のバックストン女史と組んで〝クルー・サークル〟という心霊写真専門の機関を設立した。ウィリアム・クルックス教授や牧師のチャールズ・トウィデールもそこを訪れて実験し、文句のつけようのない成果をおさめている。

 私もこのサークルが撮影した写真数十枚を検証しているが、私の知っている人で、すでに他界しているに間違いない人物の写真が何枚もあり、しかも、それと同じ写真は生存中に撮ったことはないことが確認されている。その中には私の両親と戦死した息子がいっしょに写っているのがある。息子は地上時代よりはるかに幸せそうで、生き生きとし存在感がある。


霊魂説がもっとも妥当
 こうしたさまざまな現象───心霊写真や物質化現象や直接談話など───にじかに接してみると、テレパシー説だの無意識の精神作用だの宇宙意識説だのが、実に愚かしく思えてくる。どう考えても、そのすべてを合理的に説明する説は、地上界以外に五感では知り得ない世界があって、そこに住む知性をそなえた存在が組織的に地上界へ働きかけている、とする〝霊魂説〟しかない。地上人類は、死後みんな例外なくその世界へ行くのだ。

 自動書記による通信の判断にはよくよく冷静な検証が必要であることはすでに述べた。ただの潜在意識の反応といった自然な解釈も考えられる。スピリットからの通信と信じるのは最後の最後まで留保すべきである。が、スピリット説以外の自然な解釈と言っても、テレパシー説、つまり通信が宛てられた本人も知らない内容のものを、霊媒がそれを知っている誰かの潜在意識から読み取って書いたとする説だけは、それこそ不自然な解釈であることを主張しておきたい。そこまでいくと〝解釈〟というよりは〝神秘化〟であり、SPRに所属する一部の心霊研究家のように、どこまでいっても結論の出ない無限軌道を時の果てるまで進み続けることになるであろう。

 そのテレパシー説が通用しない例を挙げれば枚挙にいとまがないが、中でも読者に注目していただきたい例としては、グラストンベリでの古い修道院の発掘の物語⑤を筆頭にあげたい。

 これはアマチュアの霊媒を通じて届けられた自動書記通信をブライ・ポンド氏がまとめたものであるが、通信霊はかつてグラストンベリに建てられていた古い修道院の敬虔な修道士ヨハネスで、その通信が届けられた時点では、そこに修道院が埋もれているという事実はまだ知られていなかった。が、その通信の内容があまりに生々しいので、発掘作業が行われることになった。そして驚くなかれ、通信に述べられている通りの位置から大修道院の廃墟が見つかった。

 奇怪なことに、その通信霊はその修道院のかつての豪華さへの愛着がいまだに断ち切れず、いわゆる〝地縛霊〟となって今もその場所から離れられずにいるのだという。これなどは、生者から生者への以心伝心という説では絶対に解釈がつかない。地上の当事者の誰一人として、そういう廃墟の存在の事実を知らなかったのであるから・・・・・・


善霊もいれば悪霊もいる
 ただ注意しなければならないのは、自動書記というのは、言ってみればどこの誰だかまったく分からない人と電話を交わしているようなもので、顔も見えないのであるから、その相手のスピリットが昨日と今日とで入れ替わっていてもこちらには分からないことがあるということである。つまり、まじめな対話の中にウソの話が混じる可能性が十分にあるということである。したがって、よほど細心の注意が必要ということになるが、これをもって霊魂説を否定する根拠とするのは見当違いである。

 というのは、死後の世界の実在と個性の存続は、他の心霊現象を通して、まず間違いない事実として確立されているのである。そしてその事実の核心にあるのは、少なくとも死の直後、言い換えれば地上界にもっとも近い界層では、個性や人間性は地上時代と少しも変わっておらず、したがって善人もいれば悪人もいるということである。

 その善悪双方の勢力がいろいろな形で地上界へ影響を及ぼしているのが現実であるから、通信内容に低俗なものや悪意に満ちたものが混じっていることは、死後の世界の実在という事実を肯定こそすれ、否定する材料にはならないのである。

 私も三十年に及ぶ霊的体験の中で、イタズラ霊によってずいぶん騙され、苦い思いをさせられている。が、同時にいやらしいこと、わいせつなこと、冒瀆的な内容の通信は一度も受け取っていない。そういう通信がないわけではないらしい。私は実際に読んだわけではないが、話には聞いている。類は類をもって集まるで、サークルをもつときは気心の合う人であると同時に、敬虔な心の持ち主を選ぶことが大切であろう。

 まじめな交霊関係に突如として人間を欺くような要素が入ってくるのは、自動書記だけではない。霊視現象でも同じである。私は、プロの霊視家でスピリットの容貌・容姿・姓名を見事に言い当て、そのスピリットからのメッセージでも、地上の家族や友人・知人を納得させるものを伝える、優秀な女性霊媒者を克明に調査したことがあるが、その中に混じってやはり、まるまる外れた予言や、肝心なところで食い違いのあるメッセージがあることを突き止めている。

 なぜであろうか。なぜ将来のことになるとよく間違えるのであろうか。それにはよほど深くて複雑は要素がからんでいるのであろうが、少なくとも一部の批評家のように、それだけで全てを〝ナンセンス〟として否定するような軽薄な態度はとるべきではない。


未知の大海を前にして
 
私の机の左側にスピリチュアリズム関係の書物が並べてある。数えると九十六冊ある。それらを丹念に読んできて、今私が抱いている感慨は、ニュートン流の譬えを用いれば、果てしなく広がる大海原の浅瀬をヒザまでつかって歩いている少年のようなものだということである。

 しかし間違いなく言えることは、未知の海が目の前にあるということ、今自分が歩いているのはほんの端っこにすぎないこと、そこから沖へ向かって行けば、自分の背もとどかなくなるほどの深みがあり、いずれ人類は徐々にではあってもそこへ入って行く運命にあるということである。

 
次章では、創造主はなぜ今の時代になってこの地球という天体に、こうした新しい知的啓示をもたらそうとしているのか、その目的は何なのかについて考えてみたい。それさえ明らかになれば、長いあいだ嘲笑と軽蔑の対象とされてきたスピリチュアリズムが、実は人類史上最も重大な発見であり、その重要性にいち早く気づいた人は、新大陸を発見したコロンブス、キリストの福音の重大性に気づいたパウロ、あるいは大自然の法則を発見したニュートンにも優る人物であったという私の主張が理解していただけるであろう。


科学と宗教が握手をする時
 その問題に入るに先立って、ここで、とかく見落とされてきたことを一つだけ指摘しておきたい。それは、これまで戦いの歴史を繰り返してきた科学と宗教が、今や互いに欠かせない同盟関係になってきたことである。

 かつての教会はただ〝信仰〟を説くのみで、その基盤となるべき知的根拠が極めて曖昧だった。ヒュームやボルテールやギボンなどが合理的思想によって攻撃を開始して以来、教会側に勝ち目はなかった。続いてダーウィンの進化論が出て、キリスト教の根幹ともいうべき〝贖罪説〟に疑問符がつけられた。そこへ、今度は内部からいわゆる〝高等批評〟⑥が噴出するに及んで、その基盤を揺さぶられるようになった。

 かくして教会は後退の一途をたどり、権威を失い、大衆からの支持も失っていったが、それは同時に、霊的なものすべてに対する不信を助長することにもなった。そこへスピリチュアリズムが勃興した。

 これは確固とした知識と生きた証拠がある。科学的根拠をそなえているということである。そこには従来のような宗教との対立はない。堂々と科学の分野に踏み込んで握手をし、その場で個性の死後存続を証明してみせることができる。これを心霊科学と言い、その目的はすでに完全に果たされ、唯物思想の息の根を止めるものをそなえた。

 ところが皮肉にも、科学に代わって今度は教会が敵にまわった。ローマ・カトリック教会や英国国教会はもとより、非国教会派や無教会派、それに〝科学的不可知論派〟だの、〝戦闘的無神論派〟といったわけのわからない宗派が、それぞれの立場からスピリチュアリズムを攻撃している。

 その攻撃の論拠は、当然のことながら各宗派まちまちである。が、いずれにしても、科学的根拠を基盤とする宗教的思想であるスピリチュアリズムの敵ではない。
 そのことは次章で明らかとなるであろう。



  訳  註
Lord Brougham17781868
 ブルーム型馬車を最初に用いたスコットランドの政治家・法律家で、スピリチュアリズムにも理解を示した。


②〝不幸〟の意味の取りようによって、ドイルが何を念頭においていたかの推測が変わってくるが、不慮の事故としては、実験の最中に心ない出席者が勝手な手出しをして、それが霊媒へ危害を及ぼすことになった事件は幾つかある。が、このあとドイルが〝陰湿な印象〟を与えたといっているところをみると、クローフォード博士の自殺を念頭においていたのかも知れない。
 その自殺の四日前に友人に宛てた手紙には次のように書いてある。

「このところ精神的にすっかり参っております。二、三週間前までは至って元気だったのですが・・・・・・心霊研究のせいではありません。これはとても楽しく続けてまいりました。いかなる批判にも耐えられる成果を得たと断言できることに感謝しております。ケチをつけられるところは一点もないまでに完全に実験しつくしました・・・・・・」
 これで発作的なものだったことが推察される。

Horace Greely18111872
ニューヨーク・トリビューン紙の編集者で、初期の米国におけるスピリチュアリズムの重要な存在。一八五〇年六月にフォックス姉妹がニューヨーク市に招かれて実験会を催した時にも出席していて、現象の素晴らしさと姉妹の信頼性を高く評価する記事を載せている。

④ 研究成果を公表したことで学会から白い眼で見られたり、牧師職を追われたり、最高裁判事の職を辞任せざるを得なかったというケースがいくつかあるが、こうした場合、確かに〝不遇〟だったかもしれないが、本人はそれを〝不幸〟だとは決して思っていない。内的確信があるからで、むしろ深い、魂の奥底から湧き出るよろこびを味わっているものである。

The Gate of Remembrance by Bligh Bond
  
ジョン・アレインとへスター・ダウデンの二人の霊媒を使って入手した自動書記通信をまとめたもの。ボンド自身が牧師で、宗教建築士で考古学者であったことが、こうした通信を受けやすくしたのであろう。未翻訳

Higher Criticism
 
聖書の資料や成立事情を確定するための歴史的・文学的研究のこと。これに対して、本文の字句の解釈を専門的に研究するのを〝下部批評〟ないし〝本文批評〟Lower Criticism という。



 
      
第三章 スピリチュアリズムの科学的基盤


死後にも〝身体〟がある
 
スピリチュアリズム思想の根幹である個性の死後存続を具体的に理解する上で基本となるのは、死後も肉体に相当する何らかの身体をそなえているという事実である。材質は肉体よりはるかに柔軟であるが、細かい部分まで肉体と同じものをそなえているという。

 むろんそれは地上時代から肉体とともに成長していたもので、肉眼には見えないが、肉体と同じ形体をし、肉体と完全に融合して存在している。死に際して───条件しだいでは生きている間でも───両者は離ればなれになり、両者を同時に見ることができる。生前と死後の違いは、死後は両者を結びつけている生命の糸が切れて、それ以後は霊的身体のみで生活することになるという点である。肉体は、さなぎが出て行ったあとの抜け殻のように、やがて分解してチリと消える。

これまでの人類は、その抜け殻を手厚く葬ることに不必要なほど厳粛さを求め、肝心の〝成虫〟のその後の事情については、実にいい加減な関心しか示さなかった。

 そのことの責任を科学の怠慢と決めつけてみても致し方のないことで、肉体の死をもって生命の終わりとする唯物的生命観は、宗教以上に無謀な独断(ドグマ)だった。決して少ないとはいえない不思議な現象をまじめに調査しようとしない科学が、死後の存続の事実を認めようとしないのは当然のこととしても、それに代わって科学が主張する説は、お粗末きわまるものばかりである。

 その科学界にあって思い切り調査と研究に手を染めた学者たちは、事実上、全員一致で霊魂説を主張している。その一人であるウィリアム・クルックス博士は、王立協会(英国学士院)の事務局長のジョージ・ストークス卿が博士の研究報告書を協会の機関誌に掲載することを拒否したことから、ぜひ一度自分の実験室へ来てよく見ていただきたいと要望したが、それに応じることなく、拒否の態度を固持した。

 私もある科学界の大御所に検証をお願いしたことがあるが、応じてくれなかった。こうした態度を取る科学界にどれほどの存在価値があるのであろうか。ちょうどガリレオの時代のローマ・カトリック教会が、ガリレオが差し出した望遠鏡をのぞくのを拒否しつづけたのと同列である。そこにあるのは、まさしく〝偏見〟である。

 私がざっと調べただけでも、まじめに心霊現象を検証して、その実在を是認した学者は五十名を超える。その中には時代を代表する顔が少なくない。カミュ―ユ・フラマリオン、チェザーレ・ロンブローゾ、シャルル・リシェ、アルフレッド・ウォーレス、ウィリー・ライケル、フレデリック・マイヤース、ヨハン・ツェルナー、ウィリアム・ジェームズ、オリバー・ロッジ、ウィリアム・クルックス等々・・・・・・

 調査結果を公表する権利を堂々と行使した学者によって、心霊現象の真実性は完全に実証されたと断言して差し支えない。しかも、過去三十年にわたる私自身のスピリチュアリズム研究で確認したかぎりで言えば、正面からこの分野の研究に取り組んで最終的に霊魂説を受け入れなかった学者は、一人もいないのである。むろん、もしかしたらどこかにいたかも知れない。が、繰り返して言うが、私はそういう人の話題を、ついぞ耳にしたことがないのである。

 こうした事実を背景として、私はこれから自信をもって、パウロの言う〝霊的身体〟(スピリチュアル・ボディ)①に関する最新の通信を分析してみようと思う。バイブルを読んだかぎりでは、パウロはなかなかの霊的知識をもっていたようである。その一つがこの霊的身体を物的身体(ナチュラル・ボディ)と区別していることである。彼は〝肉体と霊〟という言い方はしていない。物的身体と霊的身体とがあり、それに霊が宿っていたと考えていたことは明らかである。これはまさに現代の心霊科学が突き止めたことと同じである。



体外遊離体験の不思議
 体外遊離という現象がある。気がつくと自分の肉体のそばに自分が立っていたり、すぐ上のあたりを漂っていたという体験や、遠く離れた場所へ行ってみたり聞いたりした話をして、それが事実だったという体験もある。私自身も、歯科医院で麻酔をかけられて昏睡中に、妻と子供たちが車に乗っているところを鮮明に見て、あとでそれが事実だったことを確認している。

 また、気絶しかかっている時とか死にかかっている時に、遠くにいる人に姿を見せた話は実に多い。これを〝生者の幻影〟などと呼ぶが、マイヤースとガーニーの二人が蒐集して分類したものだけでも数百例を数える。それを睡眠中などに意識的に行い、特定の場所を決めて訪問して帰ってくることができる人がいる。こうした夥(オビタダシ)しい例は、人間が肉体以外に目に見えない素材でできたもう一つの身体をもっていることを裏付けているといえるであろう。

 英米で出版社を経営しているアイザック・フアンク氏は『心霊現象の謎』という本を著している。その中に実に興味深い米国人医師の体験が載っている。

 フロリダの自宅での出来ごとであるが、その医師が持病の強硬症の発作で気を失っている間に、ふと気がつくと、そばに自分の身体が横たわっている。が、それを見ている自分の身体も、倒れている身体とそっくりであることに気づいた。

 その時ふと、遠くにいる友人のことが頭に浮かんだので、行ってみようと思ったら、間もなくその友人のいる部屋に来ていた。近づいてその友人を見つめると、その友人も自分の存在に気づいたような眼差しで見返した。そのあとすぐに自分の家に引き返してみると、相変わらず肉体は硬直したままの状態で横たわっている。そこでその医師は、このままずっと肉体から離れたままでいようか、それとも戻るべきだろうかと真剣に考えた。が、やはりまだ死ぬべきではないと思って肉体に戻ったという。

 肉体に戻って意識を取り戻すとすぐ、さっきの友人のところへその事実を書いた手紙を送った。するとそれと入れ違いに、その友人からも手紙が届いて、〝君が部屋に来ているような感じがした〟と書いてあったという。時刻もちょうどその頃になる。その友人は当の医師からの手紙を読んでからそう書いたのではない。入れ違いに届いたのである。そこが肝心なところである。

 では、一体この第二の身体は何なのであろうか。そしてまた、新しい霊的啓示の中でどう位置付けられるのであろうか。

 何なのか───この定義はきわめて難しい。が、実体験として霊視能力者の目にはありありと映じているし、霊聴能力者にはその声が生々しい響きをもって聞こえているし、心霊写真では確かにフィルムに感光している。このことに関して私は自信をもって断言できる証拠を手にしている。


霊界はすぐ身のまわりにある
 天文学者の話によると、感光版は人間の網膜よりも微妙な感度をそなえていて、天体望遠鏡を長時間露出しておくと、肉眼では見えない星が感光しているという。満天の星を見上げてきれいだと思っていたら、天文学の発達によってそれ以外にも目に見えない星が無限大に存在することが明らかになった。それと同じで、死んでいなくなったと思っていた人類の先輩たちは、そのままの個性をたずさえて別次元の世界で元気に生き続けていることがわかってきた。それは遠いどこかではなくて、すぐ身のまわりにあるらしい。

 霊媒を使ってその世界と連絡を取ってみると、思いもよらなかった事実が次々と明らかとなってきた。写真霊媒がカメラを手にすると、その感光板に、すでに死んでいるはずの愛する人の顔が写っている。物理霊媒による交霊会では、クルックス博士の実験室で起きたように、生前と少しも変わらない身体をまとった、しかも美しい容貌の女性霊が出現して、列席していた外科医がその手を取ってみたら脈拍まで打っていたという。

 直接談話の交霊会ではメガホンが拡声器のような役割をして、大きな声で生々しくしゃべりかけてくる。ある日、他界したばかりのその家の主人が出現して、戸外にまで響くほどの声でしゃべったので、小屋につないであった愛犬がその声を聞いて興奮し、クサリを切ってドアのところへ来て、激しく前足で開けようとしたので、そのドアに傷跡がついたという。

 このように、霊的身体が何で出来ていて、どういう構造になっているかはまだ未知の問題として、その存在を示す事象はバイブルその他の古い文献にもあるし、近代スピリチュアリズムに至っては厖大な資料が存在する。そこでその存在自体を自明の事実と認めた上で、ではそれが〝死〟の現象でどういう過程をへてどういう変化をたどるかを、人間側から霊視した観察記録と、霊界側から観察して伝えてきてくれたものを総合して見てみたい。


〝死〟の現象
 
死に方にもいろいろなケースがあるが、ここでは取りあえず死の床での自然死の場合を例にして、死の現象を見てみよう。

 死期が近づくと霊体が肉体から離れる。その時は何の痛みも苦しみもない。そして、肉体とそっくりの形を整えて、死の床のそばに立つ。意識も感情も記憶も、肉体に宿っていた時そのままである。危篤の知らせを聞いて集まった家族や知人の姿が生前そのままに見えるし、泣き声や話し声が全部聞こえる。なのに、そこに立っている自分の存在には誰一人気づいてくれない。

 肉眼がないのになぜ見えるのであろうか。私が歯科医院で昏睡状態になっている間に妻子を見た体験についてもそれが言えるし、フロリダの医師が卒倒している間に友人宅を訪ねた体験についても言える。しかし、こればかりは、霊的身体にそういう視力がそなわっているから、と答える以外には、はっきりしたことは何も言えない。とにかく見えるのである。

 霊視能力者には薄モヤのように輪郭だけが見えるという。そして肉眼にはまったく見えない

ところが同じ界層のスピリットどうしには、この土地でお互いを見るように、きわめて自然で実体をともなって見えるというのである。

 その霊的身体も、時の経過とともに洗練されたものになっていくという。したがって当然、死の直後の方が何か月も何年もたってからよりも、肉体に近い要素を残しているわけであるから、フロリダの医師が友人宅を霊体で訪れた際に友人の方もその医師の存在に気づいたのは、それほど物質性をそなえていたということを物語っている。

 さて、地上時代に仕入れた精神的なものをもれなく霊的身体に積み込んで出航した自我は、その後、未知の大海でどういう航路をたどるのであろうか。それについても、他界した先輩たちから送られてきた口頭と筆記による情報が豊富に存在する。口頭によるものは入神(トランス)状態の霊媒の発声器官を使ってスピリットが語ったものであり、筆記によるものは、同じく入神状態(時には通常意識のまま)の霊媒の腕を使って書き綴ったものである。

 「何というバカげたことを 霊媒はただインスピレーションを受けているふりをしているだけではないか?」───そんな批判の言葉が聞こえてきそうである。実はこれはきわめて健全な懐疑的態度であって、霊媒現象を目の前にした時は、常にこうした〝疑ってかかる〟態度が必要なのである。



プライベートな秘密ほど証拠性が高い
 では、その真実性の証拠をどこに求めるのかということになるが、これは、その通信の内容を検証する以外には何の手掛かりもない。端的に言えば、霊媒が知っているはずがないプライベートなことを述べていることがもっとも有力な証拠であり、それをテレパシー説───霊媒が出席者の心の中から読み取って述べた───などという飛躍した説で片づけるべきではない。

 私は、大勢の方に、ある信頼のおけるプロの霊媒を紹介してあげている。その際、結果を正直に報告してくれるようにお願いしてあるが、その方たちからの驚きと感謝の手紙を数多く受け取っている。

「素晴らしい掛けがいのない体験をさせてくださって感謝いたしております。霊媒の方は関係者の名前を一つも間違わずに述べ、その人たちに関する話は何もかも正確でした」

 このように述べる女性の場合、ご主人との間で、あることに関して意見の食い違いがあって混乱していた。そのご主人が亡くなってから、右の霊媒を通して事の真相を教え、誤解の原因は何通かの手紙が届かなかったことにあり、届かなかった理由はこうです。と明快に述べたのだった。

 次のケースも夫婦間の問題であるが、こちらの場合は奥さんの方が他界している。そのご主人が言うには「交霊会は成功でした。特に私がデンマーク語で語りかけると、(デンマーク人の)妻は英語で答えてきた」ということである。

 そのほかに友人同士のケース、母親と息子のケース。特に第一次大戦で戦死した子息と声の対面をしたケースが多く、「よい霊媒を紹介してくださってありがとうござました」という礼状を沢山いただいている。むろんすべてが成功だったわけではない。完全な失敗に終わったケースもある。が、その失敗の数は、全体の割合から言うと。英国の公衆電話の故障の回数よりも少ないといっても過言ではない。

 私に言わせれば、これだけの事実を前にしてなお死後の存在を否定するには、そうした事実を無視するか歪曲するしかない。


スピリットを試すのにも紳士的態度を
 前にも述べたように、健全なる懐疑心は正確な観察の基本であるが、その〝懐疑〟がこうじて〝不信〟になると、故意の無視という態度を生むに至る。故意でないというのなら、〝無能〟ということになってしまう。が、そういう態度で済ましていられる時代は、もうとっくに過ぎ去っているのだ。

 右の霊媒が初めて私を訪れた時、私の家で死亡した女性の呼び名を言い当て、その女性の性格の特徴をいくつか述べ、私の家で今でも飼っている二匹の犬のことを述べ、最後に、若い将校が金貨を見せて「この話を出せば誰であるか分かるはずです」と言っていますよ、と言った。その通りであった。陸軍の軍医だった義理の弟が第一次大戦で戦死していた。その金貨は私がプレゼントしたもので、彼はいつもそれを首飾りにつけていた。

そのことを知っているのは親戚中でもせいぜい二、三人で、その者たちはそこには居合わせていなかったから、これもいい証拠となった。霊媒の述べたことの中には曖昧なこともいくつかあったが、間違いは一つもなかったのである。


 この話を私が記事にして公表したところ、何人かの新聞記者がその霊媒を訪ねてテストしたらしい。その中にはまずまずの成果を得た者もいたが、まったく何の手応えもなかった若い記者もいたらしい。参考までに申せば、霊媒というのはスピリットが働きかける通路であって、霊媒自身が言い当てているのではない。したがって、面白いネタを求めてやってきた若い記者に本気で応対しないことだって有り得るのである。

 気のきいたスピリットになると、そんな小生意気な若者を相手にするよりも、最愛のわが子を戦争で失って生きる意欲を失くしている母親に、その子が死後も生き続けていることの確証を与えてあげることの方に心を砕くものなのである。

まるで警察が強制捜査に踏み込む時のような態度で臨めば、スピリットの側もそれに対抗して、愚弄した態度に出ることだって十分にあり得る。霊的なことについての真相を追求する際には、紳士的態度が必要なのである。


 以上、私は一人に女性霊媒を取り上げてその能力を紹介したが、その目的は、霊媒が口にする情報はその霊媒自身から出ているのではなくて、その霊媒を通してスピリットが提供しているという事実を知っていただくことにある。文章で綴られる自動書記通信の場合も同じである。いずれの場合であっても、情報に間違いがないわけではなく、まったく情報らしい情報が得られない場合だってある。内容が曖昧なものもある。

 が、これまでに入手された膨大な霊界通信を総合的に見た時、偶然の一致説とか詐術説では絶対に片づけられないものが必要かつ十分に揃っており、死後の世界は間違いなく存在し、その世界との間に交信が確立されていると断定してよいと考える。

 霊界通信は、その世界の生活者が霊的身体を使って、霊媒という媒体を通して送ってきたものである。霊的身体の存在は太古からさまざまな形で語られており、現代ではカメラにもおさめられている。さらには、条件さえ揃えば、一時的に人間と見紛うほどの生々しい物質をまとって出現し、実験室内を歩きまわり、出席者とおしゃべりを交わしている。それをクルックス博士の研究報告に見てみよう。


空前絶後の物質化現象
 博士の数年に及ぶ研究成果をまとめた著書に『スピリチュアリズムの現象の研究』というのがある。D・D・ホームやフォックス姉妹、それにフローレンス・クックと言った霊媒による現象を、数年間にわたって研究したものであるが、圧巻は当時十六歳だったクック嬢を十八歳になるまで徹底的に調査・研究したもので、場所はおもに博士宅の実験室を使いその一部を黒いカーテンで仕切ってキャビネットとした。いずれの実験にも信頼のおける知人や友人を数人招待して、証人になってもらった。

 数ある現象の中でも劇的だったのは、地上時代にケーティ・キングと名のっていたという女性霊が、頭のてっぺんから足の先まで完全に物質化して出現したことで、それがまた、顔だけでなく容姿や身のこなしが殊のほか美しかった。そのケーティが列席者の間を歩きまわって一人ひとりと言葉を交わし、特に子供との対話を楽しんでいたという。

 
博士はその様子をケーティの許可を得た上で四十数枚の写真に収めている。その中で特に注目されるのが、英国学士院のガリー博士がケーティの脈をとっているシーンで、霊媒のクックが九十だったのに対して、ずっとゆっくりで、七十五だったという。(百七十五ページ写真参照)

 足かけ三年に及んだ調査も、ケーティの使命終了宣言をもって終止符が打たれた。ある日の実験が終わってからケーティが、

 「私の使命もこれをもって終了しました。もう二度と出てまいりません。あちらでの別の仕事が待っておりますので・・・・・・」

と言い、その言葉どおり、それきり出なくなった。ケーティが、それこそ身を危険にさらしながら証明してみせた死後存続の事実が有のままに理解されていたら、ケーティの使命終了宣言は唯物思想の終焉宣言となっていたはずである。

 さて、白を黒と言いくるめる人間は別として、正直な心の持ち主は、こうした話をどう受け止めるであろうか。クルックス博士は実は恥知らずの大ウソつきだったのではないか。でも、同じ実験室には大勢の証人がいたのである。いちばん多い時は八人もいた。霊媒のクックが変装しただけだろうという疑問に対しては、二人が一緒に写っている写真がその疑問を打ち消してしまう③。

では、博士は何かトリックにまんまんと引っ掛かっていたのであろうか。それはその報告書を読めばまず有り得ないことがわかる。その用意周到さ、トリック防止策を読んでもなお猜疑心が消えないようでは、その人の頭の方が少しおかしいのではなかろうか。

 最後に指摘しておきたいのは、歴史を繙いてみればわかるが、霊的現象とされるものは数限りなく存在している。が、これほど絶対的といってよいほどの物的証拠を残したものがあったであろうか。キリスト教関係者に申し上げたいのは、こうした話にすぐに敵対的な態度を取ったり、悪魔の仕業にしたりしないで、唯物主義に対する最終回答ともいうべきこうしたクルックス博士の研究を有難く受け止めるべきだということである。唯物主義こそキリスト教にとって最も危険な敵だったのではなかろうか。

 
今こうして綴っている机の上に、あるキリスト教の役職についている方から感謝の手紙が置いてある。それにはこうある───

《・・・・・・私はこのまま家に帰るのが怖くなりました。もはや偽善者の態度は取れません。私の信仰の変化はきっと家族を深い悲しみの淵に落とすことでしょう。しかし、あなたの著書を読んで、私は言うに言われぬ安らぎを得たのです。これからの人生を快活に生きていく勇気が湧いてきました・・・・・・》

 これが、〝悪魔の木〟になった果実であろうか。スピリチュアリズムに対して及び腰の態度しか取れないキリスト教指導者に、再思三考を促したい。

  
霊界から届けられた〝うれしい便り〟
 以上で、死んだと思っていたわれわれの先輩が実はどこかで生き続けていて、その一部の人たちと連絡が取れたということが、間違いない事実であることに納得がいかれたことと思う。

 そこで、当然生じてくる次の関心は、彼らは今どこでどうしているか、どういう環境のもとで生活しているかということであろう。これはわれわれにとっても大問題である。なぜなら、死はいずれわれわれに例外なく降りかかってくる問題であり、もしかしたら明日にでも彼らのいるところへ赴くことになるかも知れないからである。

 うれしいことに、これまでに得た〝便り〟は楽しいことばかりである。人類へのメッセージとして、これほど重大な意味を持つものはないと私は考える。いたずらに恐怖と幻想の世界へ閉じ込めてきた、おどろおどろしい想像の産物である天国と地獄などは、どこにも見られない。いずれも〝健全〟であり〝穏当〟であり、〝段階的進化〟の大原則にも適っていて、〝理性〟が納得するものばかりである。創造主の概念も、これまでのような、我がままで執念深い虐待者のイメージ等はみじんも見られない。

 地上生活のすべてを述べ尽くすことが不可能であるように、死の世界についても、そのすべてを語りつくすことは不可能である。しかし、人類史上、このたびほど具体性をもって語られたものは他に見あたらない。

 そう判断する大切な根拠は、スピリットからのメッセージの中に、自分たちの世界のことばかりではなく、われわれ地上世界についての正確な情報も含まれているということである。地上世界の事情に通じているものが、自分自身がいる世界について間違ったことを伝えてくるということは、ちょっと考えにくい。

 そして、もう一つの大切な根拠は、無数の霊能者を通じて届けられている情報に驚くほどの共通項があるということである。〝正真正銘〟のレッテルを貼る審査基準というものは存在しなくても、人間の常識的判断基準に照らしてみた時、そのすべてに適っている。

 そうしたメッセージ、私のいう新しい啓示を公表した書物は、駅の売店や市民図書館などでは見かけない。が、それでいて信じられないほどのロングセラーを続けているという事実は、無理解による障害はいろいろとありながらも、人知れず求道(グドウ)に励んでいる人々がいることを物語っていると私はみている。そうしたロングセラーの一冊として、これから『レーモンド』を取り上げて、その概略を紹介したい。


〝死〟を隔てた父と子の感動的体験
 これは大型判の四百ページからなる大著で、〝生と死〟という副題がついている。三部で構成されており、第一部は長男であるレーモンドの生い立ちから戦死に至る短い一生が追憶の形で語られている。第二部はロッジ卿自身が複数の霊媒を通じて得た超常体験で、これが本書の主題である。そして第三部は「生と死」と題するスピリチュアリズム思想を土台としたロッジ卿の生命観で、科学者であると同時に哲学者でもある卿の高邁な思想が披露されている。

 第二部の超常体験には生前親交のあったフレデリック・マイヤースやリチャード・ホジソンなどからの通信に基づくものが多く、ロッジ卿自身は早くから死後の個性存続を信じていたが、その後、戦死した息子にまつわる体験が連続して発生するに及んで、その核心は揺るぎないものとなった。その中から戦地での写真にまつわるエピソードを紹介しておくと───

 レーモンドが戦死したのは一九一五年九月十四日である。それから二週間後に開かれたピーターズという霊媒による交霊会で、ムーンストーンと名のる支配霊がこう述べた。

 「お子さんが戦死される前に立派な写真を撮っておられますね。二枚・・・・・・いや三枚。二枚は一人だけのポートレートで、もう一枚は他の将校たちといっしょのもので、お子さんはそのことをしきりに告げてほしがっておられます。その一枚にはステッキを手にした姿で写っているそうです」

 この時点でのレーモンドの軍服姿の写真は、戦地に赴く前に撮った前向きと横向きの二枚のポートレートがあるのみで、グループで撮ったものがあることはロッジ家の者は知らなかった。そこで関係者を通して調査してもらったところ、その事実に間違いないことが明らかとなった。そして十二月になってその写真が送り届けられた。同じころ戦地から届けられたレーモンドの遺品を片付けていた母親が、〝戦場日記〟の中に〝写真撮影、八月二十四日〟という記載を見つけた。ロッジ夫人はその時のことをサイン入りでこう証言している。


《四日前(十二月六日)、私は戦地から届けられたレーモンドの遺品の中にあった日誌をめくっておりました。縁に血がついており、その血でページとページがひっついている個所もありました。その時ふと、そのページの一つに〝写真撮影〟とあるのを見つけて驚きました。日付は八月二十四日となっておりました。私はそのことを、その日の日記にこう書き入れました───〈十二月六日。初めてレーモンドの日誌を読み〝写真撮影、八月二十四日〟の記録を確認〉と。
     一九一五年十二月十日                                               メアリ・ロッジ


 本書の価値は、当時の著名な霊媒、それもたった一人でなく数人を通して個別に入手した情報を、当時のヨーロッパの知性を代表する世界的な科学者が細かくチェックしたうえで編纂したという点にある。霊界の聡明な息子と、必死に真相を求める地上界の父親との、真剣でしかも愛情あふれる交霊は、初めて霊的なものにふれる人はもとより、すでに交霊というものの実在を信じている人にも改めて感動を与えずにはおかない。

 私は、これは人類にとって貴重なドキュメント───もしかしたら近代におけるもっとも重要な文献の一つであると言っても過言ではないと思っている。とにかく死後の世界の実在を扱ったものの中でも、とりわけ信頼度の高いものであることだけは確かである。

 それも、一方的に霊界側から主張してきたものと違い───そういうものも率直さと真摯さがあってそれなりに良さがあるのであるが───一見なんでもなさそうな事柄を時間を掛けて一つ一つ押さえていく手法が用いられてあって、かえって説得力がある。


霊媒現象のメカニズム
 ここでもう一度原点に立ち戻って、いったい霊媒現象とは何なのか、そのメカニズムはどうなっているのかを観てみたい。

 よく聞かれる質問に、スピリットはなぜ特別に知性も道徳性も高いとは思えない人を通して通信を送ってくるのか、というのがある。中にはそれでお金を取る人もいる。

 一見なるほどと思いたくなる疑問であるが、分かりやすい譬え話で言うと、それはわが子から電報を受け取った親が、なぜあの子は電報局などを通して連絡してくるのだろう。電報局に努めている人は格別に徳性が高い人たちとは思えないのだが・・・・・・直接連絡してくれればいいのに、などと思っているようなものである。

 霊媒というのは、その電報局員と電信機がいっしょになったような存在であって、いわば機械にすぎない。霊媒自身が通信を出しているわけではない。特殊な受信能力をもった霊媒を通して異次元の世界から送られてくるのである。

 では、なぜ特殊人だけがそういう能力をもっているのでろうか。これも興味ある問題であるが、前にも言った通り、これは、音楽の天才と音痴とがいるのはなぜかという問題と同じで、〝なぜ〟ということには何とも言えない。ただ霊媒の場合にはっきり言えることは、能力と言っても、積極的に何かを生み出す能力ではなく、スピリットという外部からの力に使ってもらう能力、ということで、これは物理的現象の場合も精神的現象の場合も同じである。

 霊媒によっては、個性が消えて、スピリットに完全に司(ツカサド)られてしまうタイプがある。その間、霊媒本人は完全に無意識状態にあり、自分を通してどんなことが行われたのか、まったく知らない場合もあれば、肉体の留守をスピリットにあずけて異次元の世界を旅してくる場合もある。

 別のタイプに、意識はちゃんと維持しながら、同時に霊的感覚を働かせて、スピリットの姿をみたり、そのスピリットからのメッセージを受け取ったりすることができる人もいる。その場合のメッセージの受け取り方も、霊能者によってさまざまで、姓名や住所が強く印象づけられる人もいれば、目の前にそれが綴られるという人もいる。「まるで大声で叫んでるみたいです」という。

 自動書記の場合でも、完全に無意識になる人もいれば、腕の神経と筋肉だけがスピリットに使用されて、その他は普通の状態のまま───たとえば読書をしたり、立会人と会話を交わすなど───を維持できる人もいる。

 物質化現象になると、霊媒からパン生地のようなものが出てきて、それが人体の一部、たとえば手先や顔になったり、頭のてっぺんから足の先まで完全な形体を整え、実験室を歩き回ったり、列席者と談笑したりすることすらある。又棒のような形になって、それが部屋に置いてある家具を動かしたり持ち上げたりすることもある。

機械工学のクロフォード博士や精神科医のシュレンク・ノッチング博士、ノーベル賞学者のシャルル・リシェ教授、内科医のグスタフ・ジェレー博士といったそうそうたる面々によって、可能なかぎりの多角的研究がなされている。(その成果を箇条書にまとめたものを第四章の訳注④に掲げてある──訳者)


 第一部でも述べたことであるが、大切なことなので敢えてもう一度繰り返すが、実験会というものは〝のぞき趣味〟的ないい加減な気持ちでやってはならない───あくまでも厳粛な気持ちと細心の注意をもって臨むべきである。そして、その体験によって見えざる世界の実在とこの世との連続性を確信したなら、それは心霊実験がもたらす唯一の、そして最大の恩恵にあずかったのであるから、その後は霊界からの啓示がもたらす教訓を現実の生活に生かすことに徹し、いつまでも心霊実験に関わり合っていてはいけない。


スピリットの更生を目的とした交霊会もある 
 心霊実験会とは少し趣きを異にするものに交霊会と言うのがある。信頼のおける霊媒を囲んで五人ないし十人程度のメンバーで定期的に催すもので、いわゆる霊示と呼ばれる高級霊からの啓示は、そうしたサークルで入手される。それは霊界側で計画的に推進されているもので、人間側の勝手な思惑でやっても、高級霊はそう簡単には応じないことを知るべきである。

 サークル活動でいつも問題となるのが、イタズラ霊や邪霊の暗躍である。そうした低級霊による影響は確かに存在し、用心しなければならないことは言うまでもないが、それを悪魔の手先による仕業のように考えて、怖じ気づいたり敵対心を抱いたりするのも禁物である。

 その理由は、いくら邪悪なスピリットでも、もともとは同じ人間であり同胞なのである。ただ考え方が正道から外れているというだけで、お互い進化の途上にありながら、彼らは少し道草を食っているにすぎない。そうさせた原因はたぶんに地上的環境にあったのかも知れない。そういう理解のもとに、憐憫と同情と祈りの心をもって接し、反省を促すくらいの寛大な心が望ましい。

 海軍提督のアズボン・ムーア著『かいま見た次の世界』に、そうした低級霊の更生を目的とした米国のサークル④が紹介されている。人間の常識で考えると、その種のスピリットは霊界の方で更生手段を講じてくれればよさそうなものであるが、そこには〝波動(オクターブ)の原理〟というものがあって、いつまでも地上界に未練をもつスピリットは、身体は霊界にあっても、馴染んでいる世界は地上的波動に包まれていて、高級霊との接触が取れない状態にある。そこで地上のそうしたサークルに案内して霊媒の身体に一時的に宿らせ、サークルの者たちと語らせる。むろん霊界と地上界との協調関係があってはじめて出来ることである。

 次章では、新しい啓示によって明らかになってきた死後の世界に深く足を踏み入れてみたい。


訳 註
  Spiritual Body
〝霊体〟と訳されることが多いが、パウロがいっているのはNatural Body すなわち物的身体(肉体)とは別個の霊的な身体という意味である。かつては〝霊体〟と呼んでも差し支えなかったが、その後の心霊学の発達でその霊的な身体にも、前ページのイラストでごらんの通りの三種類があることが判明し、さらにそれが日本の古神道と一致していることから、浅野和三郎が幽体・霊体・神体(本体)という用語で呼称したために、使い分けの必要が生じた。

原本の Researches in the Phenomena of Spiritualismによると、ケーティ関係の写真は四十四枚撮影したという。が、ケーティの希望で公表されなかった。したがって原書には一枚も掲載されていない。クルックス博士の死後解禁になって書物や雑誌に公表され大センセーションを巻き起こしたが、その騒ぎの中で原版が行方不明になったり破損して使えなくなったりしたものもあって、現在は半分も残っていないという。本書で紹介したのは私が英国のMary Evans Picture Libraryに特別に依頼して、現存する残りを全部プリントしてもらったものの中から選んだ。

その点を確認した時のクルックス博士は次のように報告している。
《次に昨夜の実験会の様子であるが、ケーティが昨夜ほど完璧に物質化したことはなかった。始め部屋中をあるきまわり、親しく列席者と話を交わしていたが、やがて私に向かって、今夜は自分とクック嬢とをいっしょにご覧に入れたいと言う。

 私はさっそくガスランプを消して代わりに燐光ランプを手にして、キャビネットの中に入った。暗いので用心して入り、手探りでクック嬢を探したところ、床にうずくまっていた。私はヒザを折ってランプを近づけ、空気を入れて明りを大きくした。その灯りの中に見えたクック嬢は、夕方に見かけた時と同じく黒のビロードの服をまとい、見た目には無意識状態だった。

 事実、私が手を取っても、灯りを顔に近づけてもピクリともせず、静かな息づかいをしていた。それからランプを高くかざしてみると、すぐそばにケーティが立っている。今しがた実験室で見たのと同じ、流れるような白い服をまとっていた。

 私はヒザを折ったままの姿勢で片手でクック嬢の手を握り。もう一方の手でランプを上下に動かして、ケーティの全身に光を当ててみた。その瞬間私は、自分はまぎれもなく物質化霊のケーティを見ているのだ──幻影ではない、と確信して、心の奥に深い感動を覚えた。その間ケーティは何も言わなかったが、その私の心中を察してか、静かにうなづいてニッコリとほほえんだ。

 私は握っている手が生きている女性の手であることを確かめるために、足下にうずくまっているクック嬢に灯りを近づけて見つめること三回、さらにその灯りをケーティにも当てて徹底的に観察した。そしてその客観的存在について一点の疑念をはさまない段階に至ったのだった》

同じく霊媒を中心として行なう催しでも、おもに現象的なものを目的とするものを〝実験会〟といい、霊言を中心とするものを〝交霊会〟というが、さらにスピリットの更生ないしは霊的覚醒を目的としたものを〝招霊界〟ないしは〝招霊実験〟という。いずれの場合も背後霊団が控えていて高級霊がその指揮に当たっているが、いかに高級霊が働いていても、受信装置である霊媒の波動が乱れては、イタズラ霊につけ入れられることになる。霊媒の波動を高め、強化し、守るのは出席者の調和である。

 
    
        第四章 向上進化を基調としたスピリットの世界

啓示の信憑性を決める三つの条件
 
死後の世界に関する情報を伝えてくれるものとしてまず第一にあげたいのは、現実に今その世界で生活しているスピリットから送られてきたメッセージである。すでに述べたことだが、この新しい啓示は次の三つの点においてその信憑性が十分に裏付けられていると考えてよい。

 一つはバイブルにいう〝しるし〟が実験会における心霊現象という形で伴っていること。もう一つは、多くの場合、スピリットが指摘する地上時代の事実が正確であり、霊媒がテレパシーや無意識の記憶によって知っていたという説明では、とうてい片づけられないものであること。そして三つめが、複数の霊媒からいろいろな手段で個別に入手されたものであるにもかかわらず、その内容は、完全にとは言わないまでも、きわめて類似しているという事実である。

 とくに注目すべきことは、死後のある一定段階から先のことになると、意見がまちまちになってくることで、やはり、スピリットになったからと言ってすぐに全知全能になるわけではなく、われわれと同じく、高等な次元のことに関しては深く瞑想する必要があるということである。従って、たとえば生まれ変わり(再生・輪廻転生)の問題になると、見解に大きな食い違いが見られる。

 ただ、私見によれば、総体的に言えば再生を否定する見解の方が多いようである。しかし、数こそ少ないが、これを肯定する見解を述べるスピリットは、他の問題に関してきわめて信頼性に富むことを述べている。その事実に鑑みて、この問題に関しては柔軟な態度をもつべきであると考える。

 さて、本論に入る前に、二番目にあげた事実を裏付けるよい例を紹介しておきたい。これは、スコットランドの港町グラスゴーに住むフェニックス氏を霊媒とする直接談話の交霊会の記録で、司会者(サニワ)はスピリチュアリズムの世界では知らぬ者のないアーネスト・オーテン氏①である。スピリットの声はメガホンの中から出ていた・・・・・・


声「今晩は、オーテンさん」
オーテン「今晩は、どなたでしょうか」

声「ミルと申します。あなたは私の父をご存知です」
オーテン「いいえ、私はそういうお名前の方は存じませんが・・・・・・」

声「いえ、ご存知です。先日、父と話しをなさったばかりです」
オーテン「そうでした。今思い出しました。ほんの行きずりのご縁でお会いしました」

声「父に私からのメッセージを届けていただきたいのですが・・・・・・」
オーテン「どんなことでしょう?」

声「先週の火曜日真夜中の出来事を父は〝気のせい〟にしていますが、そうではないと、ただそれだけお伝えください」
オーテン「わかりました。そう伝えましょう。あなたは他界なさってもう長いのですか」

声「かなりになりますが、こちらの時間はそちらとは違いますので・・・・・・」
オーテン「地上では何をしておられましたか」

声「軍医です」
オーテン「死亡の原因は?」

声「軍艦に乗っていて被弾しました」
オーテン「ほかに何かご用は?」

 この質問に対する返答は、ベルディの歌劇〝トロバトーレ〟の中のジプシーの歌を口笛で吹いた。音程は正確で、そのあとダンスのクイックステップの曲が聞こえ、
「これは父へのテストケースです」
 
と述べた。

 
オーテン氏は実験のあとすぐさまミル氏を訪ねて事の次第を述べた。ミル氏はスピリチュアリズムには関心のない方であるが、オーテン氏が述べたことはすべて正確であることを認めた。息子さんの死亡原因も本人の言った通りだった。火曜日の出来事というのは、ミル氏が書斎で仕事をしていると、息子が大好きだった〝トロバトーレ〟の中のジプシーの歌が聞こえた。

部屋中を調べてみたが、そんな歌声のする原因が突き止められないので、〝気のせい〟だと思った。クイックステップの曲は息子さんが良くピッコロで演奏していたもので、ミル氏はそのテンポのステップができなくて、いつも家族のお笑いぐさにされたという。

 この例をあげたのは、このようにスピリットの述べた地上時代のことが正確であれば、そのスピリットがいま生活している世界についての叙述も真剣に受け止めてしかるべきだということを申し上げるためである。もっとも、何しろわれわれには直接の確認のしようがないわけであるから、最終的には、多くの霊媒を通して入手したものを比較検討するしかないことは言うまでもない。



明るく、活動に満ちた世界
 そこで、そうした比較検討の末に得られた死後の世界に関する情報をまとめてみると、大体次のようなことになる。

 まず完全に一致しているのは、死後の世界は幸せに満ちているということである。二度と地上に戻りたいとは思わない、というのが一般的である。先に死んでいった肉親や知人が迎えてくれて、以後ずっと生活をともにしていることが多い。といって遊び暮らしているわけではなく、性格と能力に合った仕事に従事している。

 生活環境は地上とよく似ているが、すべてが一定の高い波動(オクターブ)に統一されており、リズムが同じなので、違和感というものを感じないが、全体として地上環境とはまるで違っている。地上に存在するものは何でも存在する。アルコールやタバコまであるというと嘲笑する人がいるが、なんでも複製できるといっておきながら、アルコールやタバコは作れないというのは不自然であろう。


 もっとも、地上でもそうであるように、嗜(タシナ)むと言っても程度の問題である。『レーモンド』の中にその話が出ていて、それが物議をかもしたことがあるが、お読みになれば分かるように、レーモンドはそれをきわめて特殊なこととしてユーモアを混じえて語っている。②

 キリスト教の牧師の中には、そのことを笑止千万の話として、その一事をもって他のすべての通信もみなたわごとと決めつけている人が多いが、私からその人たちに指摘したいのは、私の知るかぎり、死後の世界でアルコールを嗜む話を述べている人がこのレーモンド以外にもう一人いる───ほかならぬイエス・キリストであるいう事実である。マタイ伝2629説でイエスはこう述べている───〝私の父の国であなた方と共に新たに飲むその日まで、私は今後決してぶどうの実からこしらえたものを飲むことはしない〟と。

 もっとも、この話は些細なことのうちに入る。そして、こうした途方もなく大きな問題、それも全体として曖昧さを拭いきれない問題を扱う中で、些細なことにこだわるのは危険である。私の知っているある女性がこんなことを言ったことがある───〝来世のことが不思議に思えるのは当たり前ですよ。私たちだって、もしも生まれる前にこの世の事情を語って聞かされていたら、さぞかし不思議に思えて、信じられなかったでしょうよ〟と。なかなかうがった見方である。



目的は霊性の開発と進化
 そこで、これからもっと大きな問題へと進むが、死後に迎える生活が幸せに満ちたものであると言っても、その目的とするのは、自我の内部に潜在している霊的資質を発達させることにある。行動派の人は行動で、知的才能に優れた人は知的才能で、芸術・文学・演劇・宗教その他、おのおのが神から授かった才能を発揮するための仕事にいそしむのである。知的なものも性格的なものも、地上時代のものをそっくり携えて行っている。年を取ったための衰えは脳の機能の衰えであって、自我に取り入れたものはそのまま残っている。

 地上で愛し合っていた者はいずれ再開する。が、地上時代のような肉体関係はないし、したがって子供の出産もない。それでいて、強烈な親和力による深い親密度を実感するという。地上で真実の愛を実感することなく終わった者も、霊の世界へ来て、遅かれ早かれ、霊的配偶者を見いだすという。

 幼くして他界した子供は霊界で自然な成長をする。それゆえ、たとえば二歳の女の子を失った母親が二十年後に他界して霊界入りした場合、二十二歳に成長した娘が迎えに来てくれるという。と言って、年齢そのものに意味はない。自我の成長度が容貌に現れるのである。老人は若返るのであるから、女性は老化による美の衰えを嘆く必要はなく、男性はからだが言うことをきかなくなったことや頭脳の衰えを嘆く必要はないわけである。あちらへ行けば、失ったものがすべて取り戻せるのである。



肉体の障害は死後に持ち越さない
 同じことが身体の障害についても言える。その障害のすべてが消滅しているのである。手足は戻り、視力も戻り、知的能力も本来のものが取り戻せるのである。障害を受けているのは肉体だけなのである。霊的身体は決して傷つかない。完全無欠である。

 第一次大戦で多くの若き英雄が手足を失ってしまった今、これは実に大きな朗報というべきである。A・ウォーレス博士主催の最近の交霊会でも、出現したスピリットが最初に述べたセリフは、

 「左手がちゃんとあるよ」
だったという。同じことがアザや異常部分、盲目、その他ありとあらゆる障害について言える。それは決して永遠に背負わされる十字架ではなく、やがて訪れる霊の世界では、すべてが消滅するのである。すべての者が完全な健康体となる───霊界通信は口を揃えてそう伝えている。

 「でも・・・・・・」と信じられない人は次のような疑問を抱くであろう。
 「霊視能力者が描写する死者の霊姿が、老人で古い時代の衣装をつけていたり、髷(マゲ)を結っていたりするが、あれはどういうことか」と。

 実は、そうした霊姿は現在のスピリットそのものの姿ではなく、そういう容姿しか記憶していない身内の人や知人のためにそういう装いをして見せたり、霊視能力者の視覚にそういうイメージを投影したものなのである。白髪のままだったり、古い時代の衣装をつけていたりするのはそのためである。もしも本人の今現在の進化した姿を見せたならば、神話・伝説にある流れるような羽衣(ローブ)をつけているかも知れない。そのローブにはそのスピリットの霊格と性格を示す生地と色彩があざやかに出ていることであろう。が、それでは地上の者には本人であることの確認ができない。



心の通い合う者が集まる
 死後の世界は親和力の世界である。親和性を持つ者同士が結ばれる。口もきかない亭主、ヒステリーの奥さん、そんなカップルはあの世ではいっしょにならない。辛かった地上生活を終えた後、次の本格的な霊界での生活に入るに先立って、すべてのことが満ち足りて、思いのままになる。美しさとのどかさと妙(タエ)なる音楽に満ちた環境の中で、心の通い合う者が集まって生活を営む。

 美しい庭園、繚乱の花、緑なす森林、豊かな水をたたえる湖水、忠実な動物たち───こうした夢のような環境について、先輩霊たちが、今なお薄暗い家屋で無為に過ごしているわれわれに、生き生きとした情報を伝えてくれることが可能になったのである。そこには金持ちも貧乏人もいない。職人は相変わらずその腕を活かした仕事にいそしむ。が、それは金をかせぐためではなく、その仕事が楽しいからである。おのおのがその才能を生かして、共同社会のために貢献する。

 一方、高邁な次元からの使者、バイブルにいう〝天使〟からの指導と援助もある。が、そのすべてを包括して、かのキリストの霊が、あたかも親鳥がヒナを抱えるごとくに、その影響力を地球圏のあらゆる界層に行使しているという。理性も正義も、親和力も理解力も、その起源はキリストにさかのぼるという。



娯楽もスポーツもある
 喜びと楽しさに満ちあふれた世界である。各種の競技会もあり、娯楽もスポーツもある。ただし、動物に苦痛を与えるような種類のもの(狩りなど)はない。飲食に関していえば、地上のような重々しいものではなく、ただ風味だけを楽しむといった程度のものなら存在する。そこのところの誤解がある種の混乱を生むようである。

 しかし、何より大切なのは、この地上と同じく、才能とエネルギーと個性とバイタリティに富む者が───それを正しく行使すればのことであるが───人の上に立つ仕事をするし、無欲性と忍耐力と霊性に富む者は、やはり地上と同じく、魂の質が高いことを示すという。それは、霊界入りする以前の地上での幾多の苦難の体験によって培われていることが多く、それが霊界へ来てからの活性化と促進の原動力となっているという。

 地上にある時はその苦難の意義が理解できず、残酷にすら思えることがあっても、霊界へ行ってみれば、それなくしては地上生活は不毛で無益であることがわかるものらしいのである。


 
子供だましの地獄や極楽はない 
 新しい啓示によって、グロテスクな地獄もファンタスティックな天国も存在しないことがわかった。あるのは生命の段階を下から上へと徐々に昇っていくという概念のみで、罪人が一気に天使になったり、聖人・君子のような人が、ただキリスト教の信仰を受け入れなかったからというだけで地獄へ蹴落とされるような、そんな不条理な話は説かれていない。もっとも、かつての地獄・極楽説は別にスピリットによる啓示だったわけではないから、これをもって新しい啓示と古い啓示との間の矛盾と受け取ってはならないであろう。

 古い時代の地図をみると、未調査の地域は空白になっていて、〝ここには人食い人種がいたらしい〟とか、〝マンドレーク(麻薬の原料)がとれる〟といった言い伝えを書き込むのが通例だったという。地獄・極楽説も、そうした不明の箇所を勝手なつくり話で埋めたものである。神の玉座のまわりで永遠に讃美歌を歌い続ける天国だの、永遠に焼かれ続ける地獄だのを、理性ある現代人に信じられるであろうか。

 しかし、ここで一つの疑問が出てきそうである。死後の世界が存在し、そこがこれまで私が紹介してきたような幸せいっぱいの世界であることを一応認めるとしても、そういう幸せに浴さずにいるスピリットはどうなっているのか───霊界通信は彼らのことについてどう述べているのかということである。が、ここでも右のキリスト教のドグマのように、それはこうだと断定的に述べるわけにはいかない。これまで入手した情報をもとに、おおよその傾向を述べる程度のことしかできない。

 と言うのは、地上を去ったスピリットのうちで、われわれの呼びかけに快く応じてくれるのが死後に幸せを見出した者にかぎられるからだ。これはきわめて当然のことであろう。親和力の原理から言っても、こちらが敬虔な宗教心をもって臨めば、それに応じてくれるのは敬虔な宗教心に富むスピリットのはずだからである。

 

迷えるスピリットの存在
 しかし、そうした幸せなスピリットが従事している仕事の中に、迷える不幸なスピリットを更生させることが含まれているという話がよく出てくる。そのために彼らは〝降りて行く〟という表現を用いて、低界
層のスピリットに自分たちと同じレベルの波動の生活に耐えうるだけの霊性を身につけさせるように援助してやるのだという。それはちょうど、学業の遅れの目立つ生徒のために、上級生が面倒を見てやるのと同じなのかもしれない。


 そのことをイエスは、たった一人の罪深い者を悔い改めさせることの方が、九十九人の善人のことを喜ぶよりも、天界における喜びが大きいと述べているが、これは地上の罪人のことではなく、死後の低階層にいる罪深きスピリットを救出して一段と高い界層へ向上させてあげることを意味しているものと思われる。

 ところで、この〝罪〟とは何ぞやという問題であるが、科学の発達した現代において、近代的道義と公正の感覚をもってこれを考察すれば、中世のあの得体の知れない不条理きわまる化け物のようなものでないことは明白である。現代人は、あんな、依怙贔屓(エコヒイキ)のはげしい神による、みっともないお情けなどは求めない。もっともっと厳しい眼で自己を見つめるようになっている。



罪の概念の多様性
 もっとも、人間の真理をつきつめると、やれば出来るのに努力しようとしない面、知っていながら実行できない意志の弱さ、他人の立派な行いは賞賛しながら自分はだらしない態度を取りつづける性格に起因する面が多分にあることは事実である。が、その反面、生まれついた環境という不可抗力の産物、遺伝ないしは生まれながらの障害に起因するもの、さらには、明らかに身体的性向による罪悪を斟酌(シンシャク)した時、積極的な意味での罪は大幅に少なくなる。

 考えてもみるがよい。全知全能にして慈悲深き大神が、生まれながらにして障害を持つ哀れな人間が罪なことを心に抱いたからと言って、これを罰するということがあり得ようか。熟練した医師によると、頭の形をみれば、罪悪を犯すタイプかどうかが分かるという。歴史に記録をとどめている身の毛もよだつ罪悪のかずかず───暴君ネロから殺人鬼ジャック③に至るまで───みな精神の疾患の産物であり、戦争という国家的罪悪も、集団的狂気というものの存在を示しているようにさえ思える。
 
 となると、地上でそうした不利な条件をもとに苦しい生活を強いられた者を、死後、さらに地獄へ落として苦しめる必要は無いではないかという観測も出来る。霊界通信でよくあるのが、意外に平凡な人物が、死後、大変な栄誉に浴しているのを知って驚くことがあるという話である。

 そこには人間的価値観と霊的価値観との違いがあることを物語っている。となると、身体的特質が不可抗力となって罪深いことをしてしまった場合は、当然、そこに酌量の余地があってしかるべきであって、それは罪を見のがすというのとは別問題である。むしろ善人として生まれ、これといった善悪もないまま、漫然とした人生を送った人間の方が、問題が大きいことも考えられる。

 

魂をむしばむ罪悪
 霊界通信によれば、死後の向上を妨げる罪悪の中でいちばん厄介なのが、上流階級の生活が生み出す罪悪──因襲に縛られ、意識的向上心に欠け、霊性は鈍り、自己満足と安逸にどっぷりと浸った退廃的生活が生み出すものだという。自己に満足しきって反省の意識をツユほども持たず、魂の救済はどこかの教会か権力にまかせて、自らの努力を嫌う──こうした人間が最も危機的状態にあるというのである。

 教会の存在そのものが悪いというのではない。キリスト教であろうと非キリスト教であろうと、霊性の向上を促進する機能をはたしているかぎりは、その存在価値はあるであろう。が、そこへ通う信徒に、一個の儀式、あるいは一個の教義を信じる者が信じない者よりも少しでも有利であるように思わせたり、魂の向上にとって何よりも大切である〝刻苦〟が免除になるかの如く思わせる方向へ誘った時、その存在は有害なものとなる。

 同じ事がスピリチュアリズムについても言える。実生活での活動を伴わない信仰は何の役にも立たない。尊敬に値する指導者のもとで何の苦もなく人生を生き抜くことは可能かも知れない。しかし、死ぬときは一人なのである。そのリーダーがいっしょについてきてくれるわけではない。そして霊界入りしたその瞬間から、地上生活から割り出される水準の境遇に甘んじなくてはならない。霊界通信はそう説くのである。



罰の原理
 では、未発達のスピリットに対する罰はどういう形を取るのであろうか。それは、要は発達を促進するような境遇に置かれるということである。もしかしたらそれは悲しみの体験という形を取るかも知れない。この地上においても、貪欲で同情心のカケラもなかった人間が、悲哀の体験を味わうことによって、性格が和らぎ、人の心を思いやるようになるということはよくあることである。

 
バイブルには〝嘆き悲しみ、歯がみをして苦痛に耐える外なる暗黒〟という表現がある。バイブルには読み方を誤ると大変な害を及ぼしかねない箇所がいくつかある。東洋的な表現には〝白髪三千丈〟式の誇張が多く、その点を考慮せずにそのまま受け取ってしまって、感受性の強い子供や真っ正直な大人が心身症になっているケースが少なくない。

 右の文も用心して読まないといけない。霊界通信によると、確かに〝外なる暗黒〟に相当する界層が存在することは事実のようである。〝暗黒界〟と呼んでいるが、そこは決して永遠の刑罰を受ける地獄ではない。いつかはみんな光明界へと向上していくのである。もしもそうでなかったら、全能の神にとっては不名誉なことになろう。



〝外なる暗黒〟は中間地帯
 現段階ではどういう罪がどういう罰を科せられる、といったことは軽々にあげることはできないが、報いを受ける界層が存在することだけは明らかな事実なようで、霊界と地上界を隔てている中間地帯───パウロが体外遊離現象でのぞいてきたと推察される〝第三の天〟(コリント二・12章)は、どうやら神秘論者の言う〝アストラル界〟、バイブルで言う〝外なる暗黒〟に相当するものと思われる。そこには、世俗的欲望にとらわれて霊性がまるで芽生えないまま他界して、そのまま地縛霊として地上圏にとどまっているスピリットが集まっている。金儲けばかりに明け暮れた者、野心に駆られて奔走した者、性の快楽のみを求めた者、等々である。

 そうした種類の人間は、いわゆる〝悪人〟ではない。例のグラストンベリの修道僧ヨハネスが、修道院への愛着が断ち切れずに、今なおその廃墟のあたりをうろついているといったケースもある。よく騒がれる幽霊現象は、そうしたスピリットがたまたま必要条件が揃った時に、肉眼に映じるほどに物質化したケースである。スピリットがそこにいるというだけでは、姿は現れない。

単数または複数の人間がいて、その人体から出るエクトプラズム④という特殊な物質をまとう必要がある。立ち会った人が寒気を感じたり髪の毛が立ったりする現象は、心霊法則が作用した時の兆候である。が、そうした現象は幾ら追求しても、本書が目標としている、人間とは何か、生命とは何か、という命題と死後の存続を結びつけて論ずることとは無縁である。

 実はこの中間境の存在の意義について私がその説明の難しさにつき当たり、何かもっと啓発してくれる資料の必要性を痛感していた時に、偶然のめぐりあわせで───私は偶然ではなさそうに思えるのだが───全く知らない方から、四十年近くも前の一八八〇年に出版された本が郵送されてきた。その中に、自動書記で次のような一節が綴られていた。
 
 《スピリットの中には、その中間領域(ボーダーランド)から先へ進めない者がいます。死後の生命のことなどツユほども考えたことがなく、悩みにせよ、愉しみにせよ、すべてが地上的なことばかりだった者です。学問や教養とは関係ありません。たとえ学識はあっても、霊性に欠け、ただ知性のみで生きていた者は、それ以上は向上しません。要するに地上生活という修養の好機の過ごし方を誤って、今、その失われた時間を取り戻したいと思い、地上時代を呼び戻しているのです。こちらではそれができるのです。が、大変な苦痛を味わいます。

 いまだに金銭欲が消えず、地上時代に遊び回っていた場所を徘徊する者が少なくありません。その類の者がいちばん滞在期間が長いようです。というのは、必ずしも不幸とか惨めといった意識は抱いていないのです。むしろ肉体がなくなって、さっぱりした気分でいます。

 霊性の発達したスピリットも一応はここを通過しますが、通過したことに気づかない者もいます。一瞬の間のことで、休息の必要もなく、次のサマーランド⑤へと進んでまいります・・・・・・》

 死後の直後の中間境についてはこの程度にしておこう。キリスト教にはこれを明確に指摘したものは見当たらない。ただ、異端者やキリスト教を知らない者、子供や白痴などが送られてくるという〝リンボー〟と呼ばれる、わけのわからない界層があるやに述べている。

 死後、安住の地へ行きつくまでにある〝空間〟を通過するという概念は、多くの宗教に共通したもので、ギリシャ・ローマ神話では〝川〟を渡し船で横切るという寓話の形を取っている。こうしたものをつぶさに見ていくと、遠く歴史をさかのぼった時代にも、しっかりした霊的啓示があって、それが時とともに不鮮明となり、歪められていったことが窺われる。インドの最初の征服者であるアーリヤ人の信仰を、ミュア博士は次のようにまとめている。

《・・・・・・しかし、その未完成の部分(霊的身体)が第三の天界のコースを終えるには、邪悪なものをすべて地上に捨てて、広大な暗黒の淵を渡らねばならない。さらに、先父たちがたどった道を進んでから、いよいよ永遠の光の境涯へと飛躍し、そこで初めて輝ける霊体を獲得し、勿体ない住処をさずかり、あらゆる願望が叶えられる完成された生活へと入り、やがて神々の御前へと進み、神々の御意の成就の仕事に加わるのである・・・・・・》

〝神々〟を〝高級霊〟と置きかえれば、スピリチュアリズムが説くところと少しも変わらない。 


自然と進化は断絶を嫌う
 
以上が、きわめてコンパクトな形ではあるが、近代に至って霊界から届けられた通信によって明かされた死後の世界である。これを他愛ない幻想として片づけられるであろうか。どこか自然の原理に反したところがあるであろうか。

 むしろ、きわめて自然で、その入手経路に確信が得られた以上は、人類は死後間違いなくそうした道程をたどるものと受け止めてよいのではなかろうか。自然と進化は、突然の断絶を嫌うものなのだ。

 技術・文学・音楽その他の才能は脳の産物ではなく、その人間の自我の属性であるからには、死後それを失うということは、その人物の同一性を失うことに等しく、全く別人となることになる。したがって、個性が存続するということは、そうした才能も存続していることを意味している。

が、たとえ存続しても、それを表現する器官がなくては存在の意味がない。そして表現器官はある程度の〝有形〟の媒体を必要とするであろうから、死後にもそうした意味での身体を必要とするはずである。そして、身体がある以上、文明人のつつしみ深さから、何らかの〝身を包むもの〟の必要性を感じるであろう。

 また自然な願望と親和力の作用によって、真に愛する者と生活を共にすることになるであろうし、そうなると、地上でいう家屋に相当するものの必要性も考えられる。さらに、精神的な安らぎとプライバシーの必要性は、個別の部屋の存在を想起させる。

 かくして、死後の個性存続という事実さえ確立されれば、とくに霊界からの啓示を待つまでもなく、純粋理性と推論とによっておよその生活の構図を描くことができよう。

 この〝幸せの国〟の存在に関するかぎり、われわれが知る世界のどの宗教の来世観よりも、十二分な証明がなされたと考えてよいように思う。

 そういうと、読者の中には、右に述べたようなこまごまとした死後の世界の事情のうちで、どのあたりまでが私自身の想像なのだろうか、また、その概念は、同じように霊界通信に関心を持つ知識人によってどの程度まで真実として受け入れられているのだろうか。といった疑問を抱く方がおられるであろう。

 お答えしよう。右に述べたことは私が入手した厖大な資料をもとに、私自身が結論づけたものであると同時に、その基本路線において、世界各地で地道に、しかし厳格な態度で、宗教的偏見を混じえずに調査・研究した人たちによって、長年にわたって受け入れられてきたものである。証拠資料に関するかぎり、私はこれで必要かつ十分であると考えている。



科学者も囚われる信仰上の偏見
 が、他方、科学的態度で冷静に対処しながらも、信仰的には既成宗教の偏見が作用して、もしもこれを真実と認めれば神学上の大論争のタネになりかねないとの、一応無理からぬ危惧から、全面的に受け入れることに躊躇し、結論として、たぶん交霊会の出席者の想念の反映か、テレパシーであろうと主張する人がいる。たとえばツェルナ―教授⑥は熱心な心霊研究家でありながら、次のような理論を展開して事足れりとしている。


《科学は霊界通信の内容にまでは手をつけることはできない。観察された事実と、それらを論理的かつ数学的に結びつける理論によって手引きされるべきものである》


 偉大な科学者で心霊現象を支持している人の中には、霊界通信の中で信仰問題に関わることになると沈黙を守っている人が多いという事実は、このツェルナー教授の主張を裏書きしているように思える。

 確かに理解できることではある。が、よくよく分析してみると、これは一種の唯物思想を拡大したものにすぎないのではなかろうか。スピリットの存在を認め、それが地上へ戻ってくることも事実であると認めながら、そのスピリットが届けてくれるメッセージには耳を塞ぐというのでは、もはや〝用心〟を通り越して〝理不尽〟の域に達しているというべきである。そこまで到達していながら、そこから先へは進まないというのでは、不変の真理に到達することは永久に不可能である。

 たとえばレーモンドは地上の自分の家庭のことについて、実に細かい点にまで言及したことを述べていて、それが驚くほど正確であることが確認されているが、そのレーモンドがその時点で生活しているという霊界の住処について語っていることは〝信じられない〟として削除するというのは理不尽ではなかろうか。

 私自身も初めて死後の世界に関する通信を受け取った時は、そのあまりの奇っ怪さと途方もなさに、とても信じることができずに、どこかにうっちゃっておいた。その後いろんな人を通して入手した通信と比較してみて、私が入手したものもそれらと相通じるものであることを知った。

 H・ウェールズという私のまったく面識のない人の場合も同じである。この人も自動書記で受け取った通信の内容を読んでみてバカバカしくなり、しばらく引き出しの中に仕舞い込んでいた。

 ところが、ある時死後の事情をまとめた私の記事を読んで、あまりに似ているのを知って私に手紙を寄越したのだった。いずれの場合もテレパシー説や霊媒があらかじめ知っていたとする説は不可能である。


 総じて疑り深い学者や、とかく異議を唱えたがる学者というのは、すでに大切な分野をもっているために、関心の対象を物的なものにのみ制限し、死後の世界の実相を伝える莫大な量の証拠の重大さを認識しようとしないものだ。あくまでも物証を求める態度を固持して、当事者が直感する真実性⑦の証言には耳を貸そうとしない。

 次章では、こうした霊的知識に照らした上での新約聖書の検証にお付き合いいただいて、これまで曖昧で混乱していた点についてどこまで明快で合理的な解釈ができるかを、読者自ら判断していただきたい。



  訳 註 
Ernest Oaten(生没不明)
 ドイルの右腕と言われた人物で、太平洋と大西洋をまたにかけたドイル晩年の講演旅行は、このオーテンが企画したものだった。英国の高等裁判所、国教会、BBC放送を相手に、スピリチュアリズム擁護のために闘った最初のジャーナリスト。


たぶん次の箇所のことであろう。
「ボク(レーモンド)はもう食べたいとは思いませんよ。でも、食べている人を見かけることはあります。地上の食べ物に似たものを食べてないと気が済まないみたいです。

 こちらでは欲しいものは何でも手に入ります。先日地上からやってきたばかりの人はタバコを欲しがっていました。こちらには何でもこしらえる製造工場のようなところがあって、何でも好きなものがこしらえられるんです。もっとも地上の物質のようなものでこしらえるのではありません。エッセンスというかエーテルというか気体というか、とにかく同じものではないけど、タバコに似たようなものがあります。

ボクは吸いたいとは思わないので吸わなかったけど、そいつはそれに飛びついて、四本ばかり吸ってました。今はもう見るのもイヤだと言っています。地上とはまったく味が違うらしいです。それで次第に欲しくなくなるのです。


 こちらへ来たてのころは、いろいろと欲しがるのです。肉を欲しがる人もいますし、強いアルコール類を飲みたがる人もいます。ウィスキーソーダなんかをねだる人もいます。ウソじゃありません。本当にこしらえることができるのです。でも、一、二杯飲んだら、もうそれ以上欲しがらなくなるみたいです。いつまでも飲んべえのままの人がいる話は聞いていますが、ボクはまだ見たことはありません・・・・・・」

 このあとオリバー・ロッジの脚註として〝とてもユーモラスに述べている〟とある。


一八八八年の夏から冬にかけて、ロンドンの東部地区でおもに売春婦を目当てに殺し、その死体を切り裂くという事件が続発した。〝切り裂きジャック〟として後に映画にもなっている。犯人は突き止めることはできず、正体不明。


Ectoplasm
〝抽出された〟を意味するギリシャ語のエクトスと〝原形質〟を意味するプラズマの合成語で、フランスのノーベル賞生理医学者シャルル・リシェが命名した。そのリシェやドイツの精神科医シュレンク・ノッチング、さらに英国の物理・化学者ウィリアム・クルックスなどによる本格的な研究の成果をまとめると、ほぼ次のようになる。

一、エクトプラズムの現象はエクトプラズムそのものではない。霊媒から出る特殊物質に霊界のある物質を化合させてできあがるもので、それを行うのは霊界の技術者である。

二、実験中、霊媒の身体のある要素が分解されて、気体となって耳・鼻・口などから体外へ出る。出るとすぐ霊界の物質と化合して、粘着性の液状体に変化する。

三、体外へ出た直後と、それが使用されはじめた時とでは、その硬度に差がある。たとえば物体を浮揚させる場合、その物体に近づくにつれて硬度が増していく。

四、腕のように長く伸びて、中間が肉眼に映じないほど希薄になっても、そこで途切れているのではない。必ず何ものかによって補充されているのであるが、その〝何ものか〟は固体でもなければ液体でもなく、気体でもない。気体よりも一段と柔らかい何ものかである。にもかかわらずガスのように形が崩れることはなく、その安定性はまるで管にきっちりと詰められた液体のようである。

五、その〝何ものか〟と同じものが物質化霊の形体を支えているものと推察されるが、これをウィリアム・クルックス博士は〝サイキック・フォース〟と名づけている。

六、すべての出産または発生の過程が暗闇の中で行われるように、物質化現象も暗室の中で行われる。科学者によれば地球の大気層がもう少し希薄だったら、地球上に生命が発生することはおそらく不可能だったはずだという。これは生命の発生にとって光線が有害であることを物語るものである。心霊現象が暗室の中で行われるのも同じ原理に基づく。

七、物質化されたものは、その大小・形態・種類を問わず、必ず霊媒とつながっている。

八、物質化現象はいわば〝再創造〟であって、新しいものが創造されるのではない。したがってギリシャ神話に出てくるような半人半獣といった架空のものは物質化できない。

九、物質化して出現した霊の指紋を取ることに成功している。また脈拍も数えることも出来た。

十、こうした事実によって、物質化現象とは、霊体と同じものをこしらえるのではなく、霊体そのものの内部と外部にエクトプラズムが充填される現象である。

十一、心霊現象は霊界と地上界との協同作業であるが、物理的法則が無視または超越されるようなことはない。たとえば物質化霊の体重が五十ポンドである場合には霊媒の体重がきっちり五十ポンド減っているという具合である。

十二、物体が浮揚した場合には必ずそれを支えているもの、あるいは吊り下げているものが存在する。その場合、浮揚した物体の重量は霊媒に掛かってくる、物体が三十ポンドであれば霊媒の体重が三十ポンド増している。その重量が出席者に分散されることもある。

十三、エクトプラズムの一部を切り取らせてもらって顕微鏡による観察と化学分析を行った結果は次の通りである。
〇 皮膚の円盤状組織、多数。唾液上成分、数種。粘液上の粒状組織、多数。肉組織の微片、多数。チオシアン酸カリの痕跡あり。乾燥重量、一リットルにつき八・六〇グラム。無機質三グラム。
〇 無色。やや雲模様。液状(ねばり気あり)。無臭。細胞と唾液の痕跡あり。沈殿物やや白。反応弱アルカリ性。


⑤ Summerland
 ボーダーランドすなわち死の直後の中間境が各民族によってさまざまな形───たとえば仏教では〝三途の川〟を取るように、その境界を通過したあとにたどり着く環境も、民族によってさまざまに描かれてきた。が、スピリチュアリズムによって、第一部第一章の訳註㉗で指示した通りの構図になっていることが明らかとなってきた。(六十七ページ参照)

 ここでいうサマーランドは何もかも願いの適う境涯で、パラダイス(極楽)と呼ばれているのがこれに相当する。ドイルのいうボーダーランドは地球と接した死の直後の境涯で、トウィーデールが描いたイラストの〝中間境〟そのものとは合致せず、その最下層に位置すると思えばよい。サマーランドないしはパラダイスは相変わらず中間境に属し、本格的な死後の世界ではない。骨休めの一事休憩所のようなところで、全体としてさわやかな青味(ブルー)を帯びていることから〝ブルーアイランド〟(青い国)と呼んでいる通信もある。


⑥ Johann Zollner(1834~1882)
 ライプチッヒ大学の物理学と天文学の教授で〝ツェルナ―現象〟で世界的な名声を博していたが、心霊現象の研究に着手したことで、非難と嘲笑と迫害を受けた。しかし同時に、研究に使用した霊媒の質の低さのために、天文学の知友であるスキャパレリやフラマリオンたちからも、その説に疑問が投げかけられた。その反省から晩年には当時の最高の霊媒だったデスぺランス夫人を使って二十五回もの実験を行い、その成果に満足し、書物にして発表しようとした矢先に他界した。


⑦ 物質科学の発達は〝物的証拠〟を絶対視する傾向を生んだのは当然の成り行きであったが、それを心霊現象の科学的研究においても適用しようとすると、ある段階から行き詰ってしまう。心霊現象には物理的ものばかりでなく精神的なものもあるからである。物理的なものに関してはクロフォード博士やシュレンク・ノッチング博士などが十分にその条件を満たす実験を行っているが、精神的なもの、特に霊言や自動書記による通信になると〝証拠性〟の意味が違ってくることを知らねばならない。

 何しろ影も形もない存在からの通信であるから、たとえ姓名を名のったところで、本当かどうかの判断の決め手がない。そんな時に何よりも確信をあたえてくれるのが、当事者しか知らないプライベートな内容の事実とか思い出である。レーモンドの写真の話もその一つであるが、もっとドラマチックな例として、事故死した私(訳者)の長兄の場合を紹介しておきたい。

 兄は日本の敗戦の翌日、すなわち一九四五年八月十六日に、学徒動員中にトラック事故で十五歳で死亡している。疎開先のことで、家は山を四、五分ばかり登った位置にあり、毎日陸軍のトラックが山すそまで迎えに来る。敗戦の翌日とはいえ、実際にはまだ勝ったのか負けたのか定かでないので、軍はその日もいつも通りの作業を行うことにした。

 兄はいつもただ弁当だけを持参する毎日だったが、その日の朝、母は何を勘違いしたのか、兄を見送ったあとで、ふと〝弁当を持たせるのを忘れた〟と錯覚し、大急ぎでおにぎりをこしらえて、兄を追って山を駆け下りた。下りきると、すでにそこにトラックが来ていて、ちょうど兄が後尾から大股で乗り込んだところだった。駆け寄った母が、
 
 「ヒデちゃん、ホラ、弁当」と言って差し出すと。兄は、

 「あるよ」と言って、それを差し上げてみせた。母は自分の勘違いだったことに気づいたが、食べ盛りの頃なので、

 「二つぐらい食べられるでしょう。せっかくだから持って行きなさいよ」と言って差し出した。が、兄は、まわりの級友たちの手前、恥ずかしく思ったのであろう。
「いいよ」と言って、受け取ろうとしない。

「まあ持って行きなさいよ」
「いいっていったら」

 そういい合っているうちにトラックが出発した。母は仕方なく両手で弁当をもったまま、兄を見送った。それが今生の見おさめになるとも知らないで・・・・・・事故の報が入ったのはそれから十五分ばかりのちだった。ほとんど即死の状態だったという。

 それからほぼ十年の歳月が流れて、話は一九五四年のことになる。私の生涯を決定づけることになる間部詮敦(マナベアキアツ)という霊能者が福山市をはじめて訪れた時、うわさを耳にした母が伺った。座敷で先生と挨拶するとすぐに、先生が

 「今ここに一人の青年が見えておりますが、何か手に持っていますね。ほう、弁当だと言っています。お母さんには申し訳ないことをしたと言っておられますよ」とおっしゃった。

 母はその場に泣き崩れた。間違いなくわが子であることを確信しただけでなく、別れのシーンの自分の最後の姿が、兄の目に焼きついていたことを知ったからである。母にとってこれにまさる〝証拠〟はなく、それが死後存続を確信する決定的な体験となった。そして、間接的ながら、それが私にも決定的な影響を及ぼした。



     
 
第五章 バイブルに見る心霊現象

キリスト教神学の致命的欠陥
  新約聖書には、初期キリスト教時代の〝しるしと不思議〟と、近代スピリチュアリズムにおける実験室内での心霊現象との間の類似性をたどっていく上で、格好の材料となるものがいくつも見出される。

 そもそもキリスト教がこれまで人類に対して長期にわたって影響力を保ってきた原因は、その固有の神学にある。ところが、その教義の一つ一つを見ていくと、霊性がマヒした人類の目を覚まさせ、新しい啓示に目を向けさせるという目的において初めて意義をもつ驚異的現象とは、およそ縁のないものばかりである。

本来ならばそれを土台として神学を打ち立てるべきだったのである。新しい霊的真理も、日常的体験や能力を超えた、人間の力ではいかんともし難いエネルギーの顕現に目を向けたことから発見されてきたものである。すでに用いた譬えをもう一度使わせてもらえば、心霊現象は電話のベルで、それが途方もなく貴重な啓示の到来を告げてくれたのだった。


 キリストについても同じことが言える。〝山頂の垂訓〟は、それまでの数々のしるしと不思議を土台としたキリストの生涯のクライマックスであり、現象より何倍も大切なものである。お粗末な精神構造の持ち主は、パンや魚が奇跡的に増えた話だけを取り上げて、キリストのしたことを低俗と決めつけるかも知れない。

そういう人は、同じ手法で、交霊会でテーブルが動き出したりタンバリンが宙に舞う現象を見て、スピリチュアリズムを低俗と決めつけることであろう。が、肝心なのはそうした粗野な現象そのものではなくて、その裏にある高級霊からの働きかけなのである。




〝しるしと不思議は〟すべて霊媒現象
 「使徒行伝」第2章の冒頭にペンテコステの日に使徒たちが〝一つの場所〟に〝心を一つにして〟集まったとある。心を一つにするということは心霊実験会で最高の現象が見られる時に欠かせない条件の一つである。さらに続けて〝激しい風が吹き〟そのあと〝舌のようなものが炎のように分かれて現れ、一人ひとりの頭上にとどまった〟とある。これは物理実験会で見られる現象とまったく同じで、一八七三年にクルックス博士が行った実験会での現象を紹介すると───


《いくつかの発光性の固まりがすごい速度で飛び交い、出席者の一人ひとりの頭上に降りた・・・・・・》
《こうした現象───私はあえてすべての現象と言ってもよいかと思う───が発生する時は、前もって一種独特の冷たい空気が漂い、時にはそれが強烈な風となることもあった。机の上に置いてあった書類が吹き飛ばされたことが何度もある。寒暖計をみると数度も下がっていた・・・・・・・》

 現象そのものが似ているというだけでなく、まず冷たい風が起こり、それから光が発生するという順序も同じというのは不思議ではなかろうか。やはり、十九世紀という長い時間を隔てても変わることのない、心霊的法則というものがあることを示唆していると言えるのではなかろうか。

 バイブルには、さらに〝みんなが集まっていた場所が揺さぶられた〟とある。これも近代の心霊現象と共通したもので、実験室のすぐそばを大型トラックが通り過ぎたように揺れた、と言った表現をしている。パウロが〝われわれの福音は言葉で届けられるだけではない───パワーを伴っている〟と述べているのも、明らかにそのことを言っていると考えられる。〝新しい啓示〟を説く人がパウロと同じことを言っても、少しもおかしくない。

 実は私も全く同じ体験をしている。アマチュア霊媒のフェニックス氏による交霊会で、やはり冷気を含んだ一陣の風が吹いてから、柔らかなモヤのような炎が現れて、十五人の出席者の頭上を漂った。奇しくもペンテコステの日の現象と同じく〝二階屋敷〟での出来事だった。

 さきに私は、こうした現象の合理的説明は、現象がどういう形態を取るにせよ、それを起こしているのは同じ始源から発する霊力であるとする以外に考えられないと述べた。パウロは「これらはすべて、この唯一無二の霊力を活用したものであり、霊能者一人ひとりに割り当てられているのである」と述べている。まったく同じことを言っているとみてよい。近代スピリチュアリズムでは、そのことをれっきとした事実によって証明してくれているが、パウロの表現は実に見事である。

 そのパウロは〝叡智のことば〟〝知識のことば〟〝信じる心〟の三つを最も大切な要素として挙げているが、これがさらに〝霊力〟と結びつけば、他界からの高等な霊界通信を生み出すことになる。霊的治療もしかりで、今日でも秀れた心霊治療家によって行われている。これも霊力の仕業であり、治癒エネルギーを病的な身体に注ぎ込むことによって健康を回復させるのである。注ぎ込んだだけ治療家自身の霊力が失われる理屈になるわけで、イエスが「今わたしに誰か触りましたね?わたしの身体から徳力が脱け出ていきました」(ルカ8章)と言った。その〝徳力〟とは〝霊力〟のことだったのである。

 そのほかの〝奇跡〟と呼ばれている現象、たとえば物品引寄(アポーツ)、物体および人体の浮揚などもみな霊力の仕業である。さらには〝予言〟もある。もっとも、これは正確に当るものもあるが、とかく気まぐれで、人を惑わすことすらある。そのいちばんいい例が、初期キリスト教時代におけるエルサレムの堕落とエホバの神殿の崩壊の予言で、当時の人はそれを地球の終末と信じたのだった。現代に至るまでにも、いい加減な予言が繰り返されており、したがってこれが無視されたり否定されたりしても、とやかく言える筋合いではない。

 もう一つ、直感的能力として、〝スピリットを見分ける〟能力がある、初期のキリスト教時代にはどのような方法でスピリットと交信したかは、私の知るかぎり記録はないが、ヨハネが「出て来たスピリットを何でも信じてはいけない。はたして神の味方かどうかを見分けるために、そのスピリットを試しなさい」と言っているところをみると、霊界との交信はよく行われていたのであり、同時に、今日と同じように、いい加減な低級霊の侵入によって悩まされていたことが窺われる。

 ある法廷弁護士が著した本に、ふだんはドイツ語は話せない娘さんが完璧なドイツ語でしゃべった話が出ている。それを読んで間もなく、著名な医師から手紙が届き、自分の子供の一人が中世のフランス語で長文の通信を書いたので読んでみてほしい、とあった。こうしたことは今も昔もよくあることで、慎重な態度が肝要である。



キリストは空前絶後の大霊能者
 このようにバイブルの中の心霊現象とスピリチュアリズムの現象はとても似通っているのであるが、一つだけバイブルの現象で本当に奇跡としか言いようのないものがある。例の死者を生き返らせた話である(ヨハネ11章)。もしも間違いなく〝死んだ〟人間を生き返らせたのだとしたら、これに類する現象は近代スピリチュアリズムには見当たらない。

 しかしキリストはそれすらやってのける霊力があったのであろう。死んで四日も経ったラザロを生き返らせたという。が、その箇所をよく読んでみると、心霊学の知識のある人には納得のいくことが一つある。墓へ下りてゆく時のキリストが、〝うめいていた〟とある。これは聖書学者も合理的な解釈ができずにいるところのようであるが、心霊実験会に出席したことのある方なら、何か大きい現象が起きる時は霊媒がうめき声をあげることがあることをご存知であろう。

 それにしても、このラザロの生き返りの話は奇跡中の奇跡というべきである。人間的能力を完全に超越しており、自然法則の延長としての心霊的法則を利用して行ったことだった。キリストが神だったのではない。理論的にはわれわれにも可能なことなのである。ただキリストはけた違いの能力をもっていたということである。

 これとは反対に、バイブルには例が少なくて近代スピリチュアリズムにおいて頻繁に見られる現象に、直接談話がある。これは霊聴能力とは異なる。スピリットの声は主観的なもので、その人にしか聞こえないが、直接談話ならその場に居合わせた人なら誰にでも聞こえる。これは古い記録にはあまり見られない。

 カメラを用いる心霊写真現象も、もちろん近代においてのみ見られる新しい現象である。私自身が厳粛な気持ちで真実性を証言できる写真が何枚かある。粉うかたなき死者の容貌をしているのみならず、それと同じ写真がこの世に存在しないことが判明しているのである。確認する意思のない人間には、いかなる証拠も証拠とはなりえないものだ。



十二人の弟子の選定基準は?
 
ところで、キリストは十二人の弟子を選ぶ時に何を基準にしたのであろうか。キリストを慕う者は数え切れないほどいたはずである。その中からわずか十二人を選んだ、その選定基準は何だったであろうか。私の憶測にすぎないかも知れないが、一応察してみるのも無駄ではあるまい。

 まず、知性と教養を基準としたのではないことは、その十二人の中でも傑出していたペテロとヨハネでさえ〝無学で無知〟と表現されているところから明瞭である。徳性の高さでなかったことも、ユダという裏切り者がいたことから確かである。しかも十二人のすべてが、キリストの非業の死の現場に姿を見せていない。師を見捨てているのだ。崇拝の念の強さでもなかったであろう。キリストへの崇拝の念なら、他の無数の信奉者もその強さにおいては負けていなかったはずである。が、ここで一人選び、あすこで二人選ぶというふうに弟子を指名していったところをみると、何か基準があったに相違ない。

 それは霊的能力であったとみてまず間違いないであろう。地上人類としては最高と言える霊的能力を発揮したキリストは、たとえ程度においては劣っても、同じ霊的能力を具えた者を身のまわりに置いておきたかったはずだと思う。それには二つの理由が考えられる。

 一つは、近代の実験会でもそうであるが、一つのサークルができると、霊媒自身の能力にさらにパワーが付加されるという事実がある。サークルのメンバーのオーラの調和が、プラスアルファのパワーを生むのである。キリストがそうした霊的雰囲気に左右されていたことを物語る事実として、キリストを快く思っていない生まれ故郷に帰った時は、何一つ驚異的な現象を見せることができなかったことが、福音書に述べられている。

 もう一つの理由は、自分の、在世中か死後かのいずれであるかは別として、キリストは多分、弟子達に自分に代わって同じ仕事をやってほしかったのではないかと思う。それは当然、相当な霊的能力が不可欠だった。



霊媒体質だったペテロとヨハネとヤコブ
 キリストの弟子たちが関わった奇跡的現象については、A・ウォーレス博士の『ナザレのイエス』が、小冊子ながら実に的を射た解説をしている。キリストが弟子を選んでサークルをもつようになるまでは、悪魔払いの儀式以外のことは何もやっていない。そのサークルの中でもとくに霊媒的素質が強かったのはペテロとヨハネとヤコブの三人だったようで、何か大きな霊的現象を起こす時は、この三人が呼ばれている。たとえば会堂司のヤイロの娘を生き返らせた時がそうだった(マタイ9章、ルカ8章、マルコ5章)。

 有名なキリストの変貌現象と、モーゼとエリヤの物質化現象についても、ウォーレス博士の解釈は実に合理的である。山頂という場所がまず理想的だった。空気が清澄である上に、邪魔が入る心配がない。お供をしたペテロとヨハネとヤコブが眠気を催したというのは、われわれの交霊会でもよくあることで、列席者からも霊的なエネルギーが引き抜かれるからである。顔の変貌と衣服の光輝も物理実験では珍しい現象ではない。

幕屋を三つ建てたというのはキャビネットのことであって、キリストとモーゼとエリヤのためだった。とかく謎めいてしまう話も、こうして霊的原理に照らして考察すると、すっきりする(マタイ伝17章、ルカ9章、マルコ9章)。

 バイブルの中の表現を現代風に書き換えると、〝見よ、奇跡だ〟は〝これも霊力の顕現の一つだ〟となり、〝神の天使〟は〝高級霊〟となり、〝天からの声〟は〝直接談話〟、〝彼は霊の眼が開き、ビジョンを見た〟は〝彼は霊視能力を発揮した〟ということになる。


 
ユダヤ教徒の態度
 私がとくに感動を覚えるのは、ユダヤ教の狂信者たちがイエスを試そうとして、姦淫を犯した女性を連れてきた場面での、イエスの取った態度である。

 「モーゼの律法では、こういう女は石で打ち殺せとあるが、どう思うか」
と訊ねられたイエスは、一気にやり返すかと思いきや、黙ってその場にしゃがみこみ、何やら指先で地面に書きはじめた。が、何度もしつこく質問を浴びせられて、やおら身を起こしイエスは、かの有名なセリフを吐いた。

 「よかろう、石で打ち殺すがよい。が、最初に石を投げるのは、一度も罪を犯したことのない者にしてもらおう」(ヨハネ8章)

 こうしたイエスの態度は、とても神学者にはまともな解釈はできないであろう。あえて私の解釈を述べさせていただけば、あの時イエスは自動書記で背後霊団からの通信を受け取っていたのである。イエスと言えども生身の人間である。人類として稀にみる霊的能力をもっていたとはいえ、それを四六時中行使していたわけではない。右の例のように、不意を突かれた形で難問をふっかけられた時は、間をおいて背後霊団からの指示を仰いだのである。

 次に、こうしたイエス・キリストの〝しるしと不思議〟をユダヤ教信者が目の前にした時、あるいは、そういう話を耳にした時の反応を現代と比較してみると、これまた興味深い。大部分の者が信じなかったことは明らかである。そうでなかったら、すぐさまイエスの信奉者となっていたか、少なくとも感嘆と敬意の念をもって対するようになったはずである。奇跡を見せられて、ヒゲもじゃの顔に不審の念をあらわにして「そんなバカなことがあるわけがない」と言い、どこかの奇術師の話でも引き合いに出している光景が目に浮かぶようだ。

 さらには、現象そのものは認めても、それをすべて悪魔の仕業に帰して、「それはあいつの言っていることを見れば分かるじゃないか」と、常識的ではあってもユダヤ教徒にとっては辛辣な見解を引き合いに出して、得意になっている顔が浮かんでくる。

 こうした嘲笑派と悪魔論者の双方とも、現代もそっくりである。げに、太古より地球は回り、その表面で同じ歴史が繰り返されてきているのだ。



霊能力を他人に貸し与える不思議
 霊的能力の可能性に興味ある方から出されそうな話題の一つに、霊能者のパワーを一時的に普通の人に貸し出すことができるのはなぜか、また、どれくらいの時間それが可能なのかというのがある。DD・ホームの霊能の中でも最も多く実験されたものの一つに、燃えさかる石炭を素手で握ってみせる現象があるが、そのあとそれを列席者の頭の上に乗せても、まったく火傷をしなかった。

 カーター・ホールという人がしなやかな銀髪をかきわけて、そこへ真っ赤に燃える石炭を置いてもらい、その上に髪をかぶせるという実験を何度か試した記録が残っているが、彼の妻の証言によると、そのあと櫛で髪を整えてあげたら、石炭の燃えがらが落ちて来たのに、髪一本、焦げていなかったという。

 この場合、ホームは超能力パワーを一時的にホール氏に貸し与えていることになる。同じことが、キリストとペテロの間にもあった話がバイブルに出ている。

 キリストが水の上を歩いてやってくるのを見て、ペテロが「私にも歩かせていただけませんか」と言うとキリストが「ではおいで」という。歩いてみると確かに歩けた。が、もう少しでキリストのところまで来る寸前に強い風が吹いて、それで急に怖くなった。すると、とたんに水中に沈みかけた。とっさにキリストが手を差しのべて救い上げ、「まだまだ信じる力が足りない。なぜ疑ったのか」と言ったという(マタイ14章)。

 その〝貸し与えたパワー〟はどれくらい持続するものだろうか。このことに関連して私が思い出すのは、同じくバイブルの中でキリストを中心とするサークルの者が、七十人ばかりの信徒に悪霊を追い出す仕事を言いつけて送り出した話、また、新しい信徒が修行の旅に出るに際して、〝清めてもらう〟ためにエルサレムのキリストのもとに戻ってこさせた話である。

 その時に、キリストは頭に手を置いたり、頭上で空を切ったりしてパワーを注ぎ込んだのではないかと思われる。現在、聖職位を授与する儀式で主教たちがやっているのがそれで、本来は霊的パワーを注ぎ込むのが目的だったはずである。それが時の経過とともに風化し、形式だけが残ってしまった。今日では祝福を施す側も受ける側も、その本当の意味は分かっていない。〝手を置く〟(按手)という儀式は、手そのものを置くことのほかに大切な意味があるのである。



キリスト教会に訴える
 
以上で、イエス・キリストによる〝しるしと不思議〟が近代スピリチュアリズムの現象と原理的には完全に同じであることが分かっていただけたであろう。したがってスピリチュアリズムというのは、決してキリスト教に取って代わろうとするものではないどころか、イエス・キリストの言動について今日まで語り継がれてきたものが驚くほど正確であり、これまで多くの真面目な求道者にとって大きな〝躓き石〟となってきた奇跡的現象が、スピリチュアリズムのお蔭で真実性に富むものであることが証明される形となったのである。そのスピリチュアリズムがなぜキリスト教を代表する人たちによって非難と憎悪の的にされなければならないのであろうか。

 一方、われわれは新約聖書で語られているキリストの言動のすべてが、一言一句ゆるがせにできないほど正確なものであるという考えが誤解であることも指摘したいのである。その考えのために、古来、どれほど多くの弊害が生じてきたことであろうか。出来ることなら───まず無理かもしれないが───キリスト教会が思い切った態度で、新約聖書の中から明らかに改ざんされていると思われる箇所、あるいは挿入話であると考えられるものを取り除く作業をやってほしいものである。そうしたものが、どれほどバイブルの印象を汚し、純正と思われる話の価値まで下げてしまっていることであろうか。

 一例をあげると、マタイ伝23章にバラキヤの息子ザカリヤがエルサレムの神殿内で殺された話が出ている。キリストの口から出た話のように書かれているが、ヨセフスの『ユダヤ戦記』によると、これは実際はエルサレムが戦火に巻き込まれた時に起きたことであって、三十七年も後の話である。これによって現行のマタイ伝はキリスト没後に書かれたものであることは明らかである。

 こうした点をキリスト教会が満場一致で改めるなどということは奇跡中の奇跡で、まず考えられないことである。というのも、キリスト教会としては新約聖書の冒頭を飾るテクストは〝教会〟の存在を強く位置づけるものにしたいからである。が、残念ながら、キリストの時代に〝教会〟はカケラほども存在しなかったのである。

 マタイ伝の信憑性をさらに失わしめる事実に、キリストの弟子と漁師たちがラテン語やギリシャ語で会話を交わした───それどころか、語呂合わせのダジャレまで言い合った、ということになっていることである。改ざんの目的は明々白々である。

 ローマ・カトリック教会の教皇制度は完全にこの福音書を土台としている以上、これがそう近い将来に改められることは、まず考えられないことである。古代の大思想家と言われる人物たちが、オリンポス山の男女の神々が闘争を繰り返したという神話を本気で信じた───少なくとも信じた上での著作を残している事実が今日われわれには〝驚異〟に思えるように、現代のクリスチャンの道徳的勇気の欠如と知的正直者の欠落が、われわれの子孫にとって〝奇っ怪〟きわまるものに思える時代が到来することであろう。

 キリスト教精神は実に崇高である。それを理性と進歩の流れに乗せるためには、そうした他愛ない改ざんや挿入箇所を修正し、さらに、すでに主張したように、重点の置きどころをキリストの〝死〟から〝生きざま〟へ改める必要がある。が、正統派はそういう問題には深入りしたがらない。信仰が阻止するのか、それとも他に何か理由があるのかは知らないが、いずれにせよ彼ら上層部の者は、同じ教会内で批判的な考えを持つ者たちにとって、その問題が足元に散らかっている邪魔な石ころであることに気づいていない。

 信じやすい人間にとっては簡単に信じられることでも、理知的思考力に富む人間にはとても信じられないことがあるものだ。〝子羊の血によって救われる〟だの、〝有難き主の御血によって清められる〟といったセリフは、信心深い人間を快い感情で満たすかもしれないが、思慮深い人間にはグロテスクに思えるであろう。

 身代わりの贖罪説は理性的にみてとても承服できるものではないが、その問題は別として、そもそもその概念は異端のパルティアの神話から来たもので、トーロボーリアムというミトラ神の儀式において、新しい改宗者に雄牛の血で洗礼を施したことに由来する。そんな野蛮な儀式から出た概念が、思慮深く、かつ感性の鋭い現代人に訴えるはずがない。



〝人間イエス〟に返れ
 そんなものに囚われていないで、いつの時代にも新鮮で、いつの時代にも生き甲斐の源泉となり、いつの時代にも美しく輝く人物───ガリヤラの山腹をさまよい、子供たちと戯れ、いかなる身分の人とも純粋無垢な同胞意識で交わり、形式や儀式を避けてその奥に秘められた意義を求め、罪深き人間を赦し、貧しい者の味方となり、いかなる決断を下すに当たっても慈悲心と広い視野に立っていた人物、すなわちナザレ人イエスにもっと心を向けてはどうだろうか。

 その崇高な人間性に、さらに、これまで見てきたような霊的能力を具えた人物像を描いた時、そこに人類史における空前絶後の、真の意味でのスーパーマン───他のいかなる歴史的人物よりも神に近い存在を想起せずにはいられない。そのイエス・キリストの教えが秘めている影響力を、皮肉にも〝キリスト〟の名を冠する教会の硬直した神学と比較した時、いかに協会という組織がドグマと形式と排他性と虚飾と非寛容性に堕して、人間の生きざまの手本としての〝主〟から遠く離れてしまっているかを知って驚くのである。

 もはや〝キリスト〟と〝キリスト教会〟との間には救いようのない敵対関係すら生じており、両者を並べて論じることができなくなってしまった───教会は教会として、キリストはキリストとして、切り離して論じなければならないほどである。

 もとより、キリスト教会にも秀でた人物がいることはよく知っている。私自身、多感な青年時代の七年間を、キリスト教集団の中でもとくに戦闘的要素が強いとされている、イエズス修道会で生活したことがある。そこにはかつてスポーツ選手だった人もいれば、学者だった人もおり、ふつうの紳士もいた。その人たちは世間から隔絶した狭い世界で生活していながら、人間的にはみんな尊敬に値する立派な人たちばかりだった。イエズス会の信者はとかく詭弁を弄すると言われているが、そんなところはみじんもなかった。

 同じことが国教会についても非国教会についても言える。各派の教義そのものについての議論となると態度を硬化させるが、人間的には実に見上げた人物がたくさんいる。さらに、同じことが名もない一般の人についても言える。古い信仰の中で育てられ、本書で扱ってきたような霊的事象については何も知らないでいて、尊敬に与えする純粋な霊性を身につけている人を、私は大勢知っている。

 

キリスト教による救いは挫折した
 しかし、かりに百歩譲って、そうした高度な産物がキリスト教の教義のお蔭であることを認めても───実際は人類に秘められた善性の発現にほかならないのかも知れないが───キリスト教は完全に挫折したこと、そしてその挫折感をこのたびの世界大戦によってしみじみと実感させられたという事実は、もはや疑いようのない現実である。

 いくら呑気な護教論者でも、今回の世界的動乱を、何世紀にもわたってヨーロッパを席巻したキリスト教による満足すべき所産であるなどという主張はできないであろう。プロテスタント、カトリック、ギリシャ正教、いずれも似たり寄ったりで、人類の福祉には何の貢献も為し得なかった。むしろ暗黒時代の残虐行為と不行跡と不道徳から西洋世界を救ったのは、それよりも古くかつ高度な文明と、行政上の制度のおかげではなかったろうか。

 世界大戦はキリスト教とは無関係に起きたものだ───だからキリスト教が非難されるいわれはない、などという弁護は許されない。たしかに、キリスト教の教えは間違っていない。キリストが説いたこととキリスト教とは本来無縁のものだ①。ずいぶん都合よく改ざんされていて、両者を同一視することはできない。

 その改ざんされた教義の上に築かれたキリスト教は、暗黒時代をへて今日に至るまで、間違いなく西洋世界の道徳を牛耳ってきた。したがって本来ならばその道徳観が,戦争への発展の歯止めになってしかるべきだった。が、それは脆くも失敗した。キリスト教の価値が裁かれるのは、まさにその点においてである。そして、その評決は〝無能〟という一語につきる。

 なぜ、あれほどまでの西洋文明に浸透していたはずのキリスト教が、戦争阻止に何の貢献も為し得なかったのであろうか。それは、宗教として肝心なものが欠けていたからである。その肝心なものとは、教義の真実性を立証する〝しるしと不思議〟である。〝ただ信ぜよ〟式のリップサービスでは、まさかの時には脆いものだ。その脆さがこの度の騒乱の中で露呈された。魂の底から信じられてはいなかったということである。

 教会は、もともと人心を捉えるものを持ち合わせていなかった。今になっていくら内部でサークル活動を行い、主教会議や総会で討議し、次々と決議案を通過させても、もはや人心は教会へは向いていない。知的文化や教養という形では生き残るかも知れないが、真実の意味での魂の宗教としては、キリスト教は完全に死に体となっている。



世界の各宗教に反省を求める
 そろそろ各宗教団体は、それぞれの内部に頑固者や派閥第一主義者を説得して、すっかり隔絶してしまった一般の人心に訴える存在となるにはどうすべきかを深刻に考えるべき時期に来ているのではなかろうか。一般の人たちのレベルで手をつなぎ合うだけでなく、彼らをリードするだけのものを持ち合わせていると私は思うのである。

 ただし、そのためには、まず第一に、その体制から見苦しいものや障害物を取り除く決意を固めねばならない。

 第二に、理性が問いかける問題に表面から対処し、神学上の教義に対して自然な反撥を覚える人類の知性の要求に応じる用意をしなくてはならない。

 そして最後に、これまで解説してきたとおりの、霊界からの新しい啓示の波に乗って届けられる真理と霊力とを我がものとしていかねばならない。人類は一部の賢(サカ)しらぶった人種の言説に幻惑されて、その真理をいかにつむじの曲がった態度で受け止めてきたことであろうか。

 以上三つの点についてキリスト教会が真剣に取り組めば、リーダーシップを取るにふさわしい資格をもって人心を指導することになると同時に、それはすなわち、長いあいだ不当に扱ってきた〝主〟の教えそのものに、もう一度立ち返ることになるであろう。



    訳 註
①  日本では知られていないようであるが、一八八六年にHistory of the First Council of Nice (第一回ニケーヤ公会議の歴史)というのが出版され、識者の間で大変な反響を呼んだ。私が入手したのはその第七版であるが、それによると、三二五年に開かれたその会議は足かけ四カ月にも及び、新しい宗教をこしらえるための福音書の改ざんと教義の創作が進められた。その第一回目の裁決で千八百名の司教のうち千五百名が反対したことに激怒した、時の皇帝コンスタンチヌスは、衛兵を呼び入れて反対派を連れ出させ、親皇帝派三百名のみで〝満場一致〟で裁決し、ここに〝その血をもって罪を洗い流し給う〟イエスを救世主とする〝キリスト教〟なる宗教が誕生した。

 それ以後コンスタンチヌスは、ローマ帝国の国威による弾圧と拷問によってローマ教会に絶対的権威をもたせ、それを盾に、世界史に悪名高い〝暗黒時代〟を招来することになる。

 この真相が明らかになったのは、その会議で追放処分にされた司教たちの日記や書簡、告発しようとしてまとめた文書などが歴史家の手によって偶然発掘されたのがきっかけである。

 歴史家ダドレーはそれを〝告発〟という形ではなく〝史実〟として淡々と綴っているが、冒頭の〝コンスタンチヌスの生涯〟の最後に引用してある、英国の大思想家ジョン・スチュアート・ミルの言葉は、ダドレーも含めて、西洋の有識者の気持ちを代弁しているとみてよさそうである。ミルは『自由論』の中でこう述べている。

《ローマ皇帝の中で最初のクリスチャンとなったのがマーカス・アウレリウスでなくコンスタンチヌスだったことは、全歴史の中の最大の悲劇である。もしもキリスト教がローマの国教となったのがコンスタンチヌスの治世下ではなく、マーカス・アウレリウスの治世下であったなら、全世界のキリスト教がどれほど違ったものになっていただろうと思うと、胸の痛む思いがする》

 なお、ダドレーの書は山本貞彰氏によって全訳が進められている。



あとがきにかえて───〝自分〟とは何なのだろうか       近藤  千雄
 
コナン・ドイルが近代医学を修めて眼科医として開業したころは、折しも米国で勃興したスピリチュアリズムの潮流が英国へ流入して、第一線の科学者や知識人も黙視していられないほどに話題が沸騰していた。が、唯物的人間観で埋めつくされていた当時のドイルの頭には、霊的なものの入る余地はまったくなかった。

 が、百の理論も一個の事実には敵わない。そのうち自分が主治医をしていた海軍将校に招かれて交霊会に出席し、物品引寄せ(アポーツ)という、物理法則を完全に無視した現象を目の当たりにして、それまでの唯物観に亀裂が生じた。ドイルにとっての人生の大転換はその時に始まり、スピリチュアリズムを真剣に勉強するようになっていった。

 私事で恐縮であるが、私にとってのスピリチュアリズムとの出会いは十八歳の時、高校三年生になりたての頃だった。死とは何だろう、今なぜ自分はここにいるのだろうと、一人前に人生に疑問を抱き、当時人気の高かった『三太郎の日記』や『哲学入門』などを読みあさっていた時期に、本文の訳註でも述べたが、私の生涯を決定づけることになる間部詮敦(マナベアキアツ)という霊能者との出会いがあり、その直後に今度は津田山江山という、当時いちばん脂の乗り切っていた物理霊媒による実験会が福山市で開かれて、母の理解もあって、出席することが出来た。

 
百聞は一見に如かず、とは言い古された諺であるが、やはり真理である。そのたった一回の心霊実験会での体験で、私は人間の能力をはるかに超えた目に見えない知的存在の実在を骨の髄まで思い知らされた。これまで世界の心霊現象に関する記録を読んできて、津田江山氏の能力は世界的にも遜色のないものだったことを知って、自分の幸運を感謝しているところである。

 以来四十年近い人生の中で、死後の実在を真剣に疑ったことは一度もない。二十代にはふと疑念が頭をもたげたことがあったが、その実験会のことを思い起こすと、その疑念も立ちどころに消えた。それほど実験で見た心霊現象の印象が強烈だったのである。

 しかし、今と同じ個性と意識をたずさえて死後にも存在し続けることは間違いない事実であるとしても、それで自分とは何か、人間とは何かという命題がすべて解決するわけではない。〝生〟と〝死〟の哲学が〝生〟のみの哲学となるだけのことである。

 この〝人間とは何か〟という命題には二つのアプローチの仕方があるように思う。一つは、人間の構成要素はどうなっているのかという視点、もう一つは自我という意識の本体は何か、そしてどこにあるのか、という視点である。

 このうち最初の構成要素の問題は訳註でイラストを掲げておいたのでご覧いただいたことと思う。スピリチュアリズムではこれが定説となっており、スピリチュアリズム以外の分野でも、霊視能力者は同じような説、いわゆる〝四魂説〟を説いている。私は、これはもはや間違いない確定的事実であると断定してよいと考えている。

 が、誤解しないでいただきたいのは、この四つともあくまでも〝媒体〟であって〝自我〟そのものではないということである。では、その〝自我〟、こうして意識している〝自分〟とはいったい何なのであろうか。

 生れ出た時、われわれは泣くことと乳房に吸い付くこと以外、自力では何一つできなかった。それがやがて笑うようになり、寝返りをうつようになり、ハイハイができるようになり、お座りができるようになり、やがてつかまり立ちができるようになって、親は大騒ぎをする。大騒ぎして喜ぶということは、それが大変な日数と努力を要する。お目出度い、有り難いことであることを物語っている。確かに、不孝にして順調にそうは行かない子もいるのである。しかもそうした一連の成長過程の何一つとして、親が教えたものはない───みな自然発生的にそうなった。一体その原動力となっているのは何なのであろうか。

 さらにその後、まさに驚異といえる人間特有の才能が芽生えてくる。ことばが話せるようになる。文字が読めるようになる。数が数えられるようになる。絵をかき、歌をうたい、詩に感動し、恋を知り、理性に目覚める。

 その反対の感情として、人を憎んだり怨んだり、怒ったり悲しんだりすることは、精神衛生上から言うと〝不健康〟なことかもしれないが、最初は目に見えないほど小さな精子と卵子の結合体に過ぎなかったことを思うと、私にはそれも素晴らしいことに思えてくるのである。

 一体どこからそういう意念や情念が湧いてくるのであろうか。自分の意識では抑え切れないことがあるところを見ると、どうやら今の意識そのものではなさそうである。


 実はスピリチュアリズムとの出会いがあって間もないころに私は、日本におけるスピリチュアリズムの草分け的存在である浅野和三郎の著書で日本の古い資料を現代風にアレンジした『幽魂問答』というのを読み、それが〝自我〟に関する疑問にいろいろとヒントを与えてくれているような気がして、四十年余り私の心の隅に引っかかっていた。それが四年前の昭和六十三年の春ごろから再び脳裏をかすめるようになった。

 それまでの四十年余り、スピリチュアリズム関係の著書を枚挙にいとまがないほど読んできて、私自身は、先ほども述べたように、〝生と死〟から〝生〟のみの生命観へと転換し、それを当たり前のように理解していたのであるが、なぜか『幽魂問答』だけが趣きが違うような思いがしてならなかった。それは多分、主人公の加賀武士の霊が由緒正しい大名の家柄で、武士道精神の固まりのような凛々しい青年であり、それが数百年もの歳月をかけて宿願を果たしたという、尋常な時間感覚を超えたドラマチックな物語だったからかもしれない。

 ともかく私はそれを書棚の奥から引っ張り出して、もう一度読み直した。八十ページばかりの短いもので、あっさりと読み通したが、読み終えて、ふと、浅野氏は何をネタにしてこれを書いたのだろうか───どこかに原典があって、それをアレンジしたに違いないから、その原典はどこかにあるに相違ないと思い、日本心霊科学協会をはじめとして、日本の心霊関係の機関に電話で問い合わせたが、そういうものはないし、もしあったらウチの方が欲しいくらいだといった返事ばかりだった。

 そこで、そのドラマの舞台となった福岡県内の主な古書店に片っ端から電話で聞き合わせてみたが、見たことも聞いたこともないという返事ばかりなので、意を決して、五月の連休を利用して福岡の県立・市立両図書館を訪ねてみた。そして、幸い、郷土史家の協力もあって、それが、A3版ぐらいの和紙四十四枚を二つ折にして綴じた、宮崎大門(オオカド)記『幽顕問答』であることが分かった。福岡県文化会館・太田資料No281として保管されているもので、県立図書館の特別の厚意で全ページをコピーさせていただいた。

 見出しは〈天保十年丁亥八月廿四夕陰靈出現發端之事〉となっていて、漢字とカタカナで綴られ、ところどころに小さい文字で〝傍註〟が施されている。一種の憑依現象で、発端から一件落着までの時間は、延べにして二十時間ほどにすぎないが、事の成り行き上さにわの役をするようになった宮崎大門という宮司がよほど直感力の鋭い人だったらしく、最初からこれはただならぬ現象であると見抜いて細かくメモを取り、漢方医の吉富養貞にもメモを取らせておいて、帰宅してから徹夜でそれをつき合わせて整理し、清書したものだという。

 概略を述べると、話は天保十年、西暦一八三九年のことで、米国におけるハイズビル事件の約十年前、ペリーが黒船で来航する十数年前のことである。その七月四日のことであるが、筑前(福岡)の酒造家・岡崎伝四郎の若主人・市次郎が急に熱病にかかり、寝ついたきり二か月たっても一向に回復さず、からだはやせ衰える一方で、餓鬼のようになってしまった。

 何人もの医者に診てもらったが全く効果が見られないので、伝四郎は近くの神社の宮司で修法家の宮崎大門に依頼して、神道流の加持祈禱をしてもらうことにした。

 その大門が訪れた時は、市次郎はもはや重体におちいっていて、数人の医者と家族・親戚、それに近所の人たち三、四十人が集まって心配そうに見守っていた。大門は急いで加持にとりかかることにして、まず祝詞をあげて祈念したあと、大刀をふりかざして呪文を唱えながら振り下ろすことを何度か繰り返すうちに、重体だったはずの市次郎がむっくと起き上って布団の上に正座し、眼光鋭い眼差しで、大門が大刀を右へ振れば右へ、左へ振れば左へと、油断なくその切っ先を見つめ、まばたき一つしない。その時の様子を大門は傍註で、

 《この時の趣はなかなか短筆にては書取り難し。その座に居合わせたる三、四十人の人々、それを見てよく知る所なり。面色みな青ざめ、身の毛もよだちしと、のちに言えり》(漢字仮名づかいなどは修正。以下同じ)

と解説している。二か月近くも病床にあって髷も解け、ざんばら髪となった上にひげも伸び放題だったので、その物凄い形相が目に浮かぶようである。

 さて大門の加持が終わると、市次郎は両手をひざの上にきちんと置いて一礼し、ついに口を開いてこう述べた。

 「これほどまでに懇(ネンゴ)ろに正しき道筋を立てて申される上は、もはや何をか包み隠さん。元は加賀の武士にて、故あって父とともにこの地に至り、無念のことありて割腹せし者の霊なり。これまで当家に祟りしが、いまだ時を得ずにまいった次第。一筋の願望あってのことでござる」

 そこで大門が、何の目的あってこの地に来り、いかなる無念のことあってのことかと尋ねると、「余は父を慕いてはるばるこの地に来りし者なるが、父はこの地にて舟を雇い、単身、肥後国(佐賀)唐津へ赴きたり。別れ際に父は余に向かい、〝汝は是非ともこのまま本国(加賀)へ帰れ。一歩たりとも余についてくることはならぬ〟と言い放てり。このことは深きわけありて、今あからさまには告げ難し。さらに余が強いて乗船を乞うとも、父はさらに許さず、〝どうしても帰国せぬとならば、もはや吾が子にあらず〟と申せり。

 かくまで厳しく言われては、子たる身の腸(ハラワタ)に徹して、その言に従うこととなれり。さりとて、本国へは帰り難き仔細あり。父が出船せしのち、取り残されたる我が身は一人思いを巡らせど、義に詰まり理に逼(セマ)りて、ついに切腹して果て、以来数百年の間、ただ無念の月日を送りたり。吾が死骸は切腹したるまま土中に埋もれ、人知れず朽ち果てたり・・・・・・」

 
 そう述べた時には目に涙すら浮かべて、世にも悲しげな表情だったという。〝国元へ帰り難き仔細〟というのは、あとで武士みずから明かしたところによると、この武士の家は加賀の殿様から三振りの刀を下賜されたほどの誉れ高い家柄だったのが、あるお家騒動で父親が濡れ衣を着せられ、殿の怒りを買って国外追放となったという。

 その出国に際して当時十七歳だったその武士も、ぜひお供したいと思い、再三そう申し出たのであるが、父親は断固としてそれを拒み、おまえは我家のたった一人の男児なのだから居残って家を再興して欲しいと頼み、母親にもその旨を言い含めて出立したのだった。

 が、その後も父を慕う思いを抑えきれないその武士は、ついに母親の制止を振り切って、伝家の宝刀を携えて出国し、諸国を訪ね歩いて、六年ぶりに父に再開した。右の話はその時のことである。そのあと大門と武士との間で次のような問答が続いている。


 大門「何のためにそれほどまで人(市次郎)を悩ましむるや」
 「一つの願望あり。そのことを果たさんとてなり」

 大門「一つの願望とは何のことぞ。切腹したる時は何歳なりしや。姓名は何と名のられしぞ」

 「余の願望は一基の石碑を建てていただくことにて、その一事さえ叶えてくださらば今夕にも当家を立ち退く所存なり。その一念を抱きつつ時と人とを得ぬまま、ついに数百年の歳月をへて、今ようやくその機に臨むことを得たり。切腹したるは二十二歳の七月四日。次の姓名の一儀に至りては、何分にも今さらあからさまに明かし難し


 大門「姓名を名のらずして石碑の一儀をたやすく受け合うわけには参らぬ。性も名もなしに敢えてその事をなすは、道にあらず。よってそこもとの望みは承諾できぬ」

 「武士たる者、故ありて密かに国を退(ひ)きては、姓名を明かさぬが道なり。さりながら、名のらずしてはその一儀受け合い難しとの御意、一応もっともなり。受け合わずばこれまで人を悩ましたること、その甲斐なし。されど、石碑建立の一儀を叶えてくださらば、さきに申しせしごとく即刻引き上げ、市次郎も平癒に及び、以後は人を悩まさず、また当家への祟りも止むべし。

祟りを止め当人平癒しさえすれば、明かし難き姓名を明さでもよろしきにあらずや。かくまで懇ろに取り計らっていただくからには、申してもよき事ならば何故に包み隠しましょうぞ。武士道に外ればこそ隠すなり」 

 大門「そこもとの申す筋合いは一応もっともなれど、姓名を刻まぬ石碑を建立するは神道の方式に適わず。よってそれに背きてまで石碑を建つわけには参らぬ」

 「是非にも姓名を明かさざれば受け合えぬとのことか・・・・・・今となりては如何にせん。姓名を偽るはいと易けれど、吾が本意にあらず。実名を明かさでは、また道にあらず。君に仕えし姓名を私事の願いのために明かさではならざる身となり果てたるは、さてもわが身ながら口惜しき次第なり。打ち開けざれば願望ならず、願望ならざればこれまで人を悩ましたる事みな徒労となるなり・・・・・・」

 と言って大きく嘆息する。そして、しばし俯いていたが、やがて内心ついに観念したとみえ、近くの者に、

 「紙と硯(すずり)とを貸せよ」
 と言い、それを受け取ると静かに墨をすり、紙面に<泉 熊太郎>と書き、それを手にして、

 「石碑は高さ一尺二寸にして、表面には七月四日と書けばよろし。この姓名は決して他には漏らすまじきぞ
」といい、改めて筆をとって石碑の形まで書き記し、さらに<七月四日>と書き添えた。

 もっとも、最終的には写真でごらんのとおり大きなものとなり、祠(ほこら)までしつらえてもらっている。そして百五十年ほどたった今でも、七月四日には近隣の人が集まってささやかな供養をしているという。

 写真は私自身が現地を訪れて撮影したものである。武士特有の気概が全編にみなぎる、日本人にとって実に興味津々たる心霊譚で、その意味でも、世界に類を見ない貴重な資料であるといえる。同時に、焦点を〝自我の本体〟に置いて読むと、きわめて示唆に富む事実をいくつか見出すことができる稀有な資料であるとも言える。


 その一つは、加賀の武士と名のる霊の書いた毛筆の文字が、衰弱しきった重体の市次郎にはとても書けないほどの筆勢あふれる達筆であると同時に、近代では見かけない古書体も混じっていることである。ここに紹介したのは〝二度と憑依はいたしません〟という約束を書いた〝誓約書〟でこれを宮崎はこう書き下している。

 《此の度大門御剣を以て拙者立ち退く様、心苦仕る趣に相見、天保十年八月二十四日夜、御剣と奉拝、此の上の仕合せ過分に存じ、同夕此の家を立ち退き、以来此の家(に限らず、人々を悩まし候儀、急度相慎み候)》

 この事実は、毛筆で書くという一種の技術的ないし芸術的才能は〝脳〟にあるのではないことをも物語ってはいないだろうか。

 次に、熊太郎が六年にわたって父を求めて尋ね歩き、ようやく芸州(広島)で出会うまでの道中のことは一切述べられていないが、それからのち、父親が夜のうちにこっそりと宿を出て小倉へ向かったことを知って、すぐにそのあとを追い、三か月後に小倉で再び父の姿を見つけるが、非常にも父親は息子に一瞥もくれずに、今度は唐津へ向けて舟でいってしまう。

 この時点で熊太郎は絶望的になり、死に場所を求めて博多湾沿いの村をいくつか通り過ぎるのであるが、大門の問いに対して、熊太郎はその村々の名をきちんと答えている。ということは、数百年経った今もその地名を記憶していたことになる。

 私も念のためにそのいくつかを確認してまわったが、村のたたずまいや岸辺の風景は熊太郎の叙述とはかなり異なり、村が町になり、小さな港町が交通の要衝となったりしてはいるが、地名そのものは今もそのまま残っている。このことから〝記憶〟も脳にあるのではないということが言えるのではなかろうか。

 これに関連したことで実に興味深いのは、在世中のおよその時代をつき止めようとして大門が出した質問に対する返答が、やはり市次郎の記憶では有り得ないことを物語っていることである。次がそれである。

大門「そこもとの在世中のことは極秘になされたき意向をくみて尋ねること控えるが、当時の都は大和なるや山城なるや、はたまた近江なるや」
「すでに山城に定まりて後なり。延暦よりはるか隔ちたり」

大門「ご当代になりて後か」
「ご当代?」

大門「家康公ご治世の後か」
「家康公? さようなことはいまだ聞き申さず」

大門「頼朝公前後か」
「そのことはこれ以上お尋ねくださるな。年号と父君のことは決して語らずと、先夕申せしにあらずや」


 脳が肉体の中枢器官であることに疑問の余地はないとしても、その奥に何かが存在して脳を操っていることになりそうである。それを宗教的には〝霊〟(スピリット)とか〝魂〟(ソウル)と呼び、心理学では〝精神〟(マインド)と呼んでいる。これまではそれも脳の派生物として捉えようとしてきたが、右のいくつかの事実から明らかなように、脳や肉体とはまったく別個の意識体───本来の自我が存在するらしいのである。

 もう一つ指摘したい事実は───これは全編を通じて一貫して見られる特徴であるが───熊太郎は〝武士〟であることに誇りをもち、いずれは大名になる家柄であることを意識していた精神構造が随所に窺われることである。

 たとえば、当時の加賀の殿様の名前を何度訊ねられても、自分のような恥さらしの人間の口から言うのは畏れ多いという一種の〝主君への忠義〟から、最後まで口を割らなかった。現代人の常識からすれば、そもそも父親を国外追放処分にしたのはほかならぬ殿なのであるから、その殿に対して今さら忠義立てする必要はないのではないかと言いたくなるが、そこが武士道の世界なのであろう。

 姿恰好は病気でやせ細った市次郎でありながら、それが端坐して、三、四十人の者を前にして死後の世界について人間の無知と誤解を諭す時などは、まるで大名が家臣の者たちに言って聞かせるような風情があり、家の者が湯茶などを差し出すと時は思わず平伏してしまい、父親の伝四郎も、日頃息子に使用していた言葉がどうしても出なかったという。

 こうした事実から、われわれが日頃の生活の中で身につけている精神上の性格や習性、教養、嗜み、物の言い方なども、肉体が滅んだあともそっくりそのまま残っていることになりそうである。

 ところで、この武士は自分が生きていた年代のことは〝武士たる者の忠義〟として最後まで明かさなかったが、問答の様子から判断して、どうやら源頼朝の時代(十二世紀後半)より少しのちらしいことが推察される。となると、少なくとも五、六百年は経っていることになるが、本人が言うには、その間ずっと割腹自殺した場所にいて、時おり霊界を訪れたり地上界をのぞいたりしながらも、ひたすら石碑建立の願望のために、岡崎家の親族・縁者に働きかけていたという。

 われわれ生実の人間の時間感覚からすると、いい加減うんざりしそうなものだと言いたくなるが、これは、肉体の生理的リズムと太陽の動きを基準にした地上の時間感覚がそう思わせるだけで、霊の世界には地上でいう時間は存在しないらしいのである。

 さきにも述べたように、われわれは生れ出た時から、否、母親の体内にいた時から地球という物理法則に支配された環境で生きていくための訓練をし、それが当たり前のこととなるまで体得してきている。従って、その感覚にそぐわないことは信じられないようになっている。

 かといって、ではわれわれは人体のしくみ、たとえば〝見える〟とか〝聞こえる〟という現象のメカニズムが自分で理解できているかというと、一般の人間はおろか、専門に研究している人にとっても不思議なことだらけで、なぜそうなるかとなると一つも分かっていないのが正直なところであろう。それでいてちゃんと〝見え〟、ちゃんと〝聞こえて〟いる。そこがまた不思議である。

 そう考えてくると、人間がこの肉体以外に目に見えない身体をそなえていて、死後はその身体で生活すること、しかも地上で身につけた精神的なものは何一つ失われることがないこと、それどころか、思いもよらなかった能力や感覚が現れて、地上生活にくらべたら夢のような世界が展開していることを知る、といった事実を前にして、これを頭から否定すべき根拠はどこにもないことになる。

 とは言うものの、やはり死後の世界の存在は容易には信じ難いことも事実である。そこで私は、こう考えたらよいではないかという、一つの見方を提案してみたい。


 私は原子エネルギーについては、自分の身体のしくみについて知らないと同じくらい、専門的なことはまるで知らないし、その道の書物を読んでも理解できないのであるが、常識的な捉え方として、原子が物質を構成する極微の粒子であること、そしてその中心にある核を分裂させたり融合させたりすることによって、途方もないエネルギーを発生させることができる、といった程度に理解して間違いないであろう。

 こうした図式を人間の〝自我〟ないし〝意識体〟についても当てはめてみてはどうであろうか。肉体のほかに幽体・霊体・本体という目に見えない身体があることはまず間違いない事実であるとしても、それらはあくまで自我が使用する媒体であって、自我そのものではない。 

 自我の本体は肉眼では見えないし、いかなる計量器でも捉えることはできない。が、それが地上生活のすべてを支配すると同時に、物的環境による制約を受け、われわれはそれを当たり前のこととして、慣れ切っている。

 それが一八四八年のハイズビル事件以来、数多くの霊媒と学者による科学的な研究によって、人生の終わりと思っていた墓場の向こうにも想像を絶した世界が広がっていて、肉体から脱け出た自我は、肉体という物的制約によって発現を抑えられていた霊的能力や感覚を発揮して、今もなお、その広大無辺の世界で躍動に満ちた生活を送っていることが分かってきた。

 物質を分析しながら突き進んでいったら原子という目に見えない基本粒子に行きつき、その核に莫大なエネルギーが潜在していることを知った人類は、今度は脳のしくみの奥に目に見えない自我の本体があって、それにも無限の可能性が秘められていることを知るところまで来た、ということである。

 本書で紹介されたものはスピリチュアリズムのごく一部───大ざっぱなスケッチにすぎない。が、願わくは読者が、ドイルほどの知性と教養と名声をそなえた人物が、存在の不思議を意識し始めた青年時代から四十年余りをかけて調査・探究した結果、〝死後の世界〟は間違いなく実在する───しかもそこは地上よりはるかにすばらしい世界である、ということを確信するに至ったその経過を取りあえず紹介した〝序説〟(プロローグ)として、本書を、人間とは、自分とは、人生とはという古今の大問題を真剣にお考えいただく縁としてくだされば、書物としては古いものではあっても、紹介しただけの価値があったと、訳者としてうれしく思う次第である。

   平成四年一月
                                     近藤千雄